2020年10月の京都旅行の話の続きです。
まだ紅葉には早いから、紅葉の素晴らしい時に見てみたいなぁと、コスモスさんの記事で知ったところは
今回は行くのをやめて、
二尊院に寄ってみることにした。
二尊院についても、こすもすさんの記事に
紹介されてます!
春の様子が描かれているのだが、その時すでに、コロナの影響で空いてたのだなとわかる。
自分が二尊院に行ってみようと思ったのは、去年結構お城巡りしていたので、二尊院の総門を見てみたかったため。
二尊院の総門は、伏見桃山城の薬医門を1613年に移築したものとのことだったから。
しかし、例えばだが、
伏見桃山城は巨大だったから、パーツがあちこちにちらばってるよう?
つまり、そう、珍しいことでもないというか。
写真撮っているときに、お客二人乗せた人力車が来て、ここが二尊院ですと説明していたが、客が、その門を、これは新しいものなのかと聞いたら、人力車引っ張る人の名称は何て言うのか知らないが、
(wikiによると、俥夫(しゃふ)または、車力(しゃりき)と呼ぶらしい。人力車を引く人のこと、と検索窓に入れると、「人力車を引く人のこと 英語」って検索候補に出てきた。)
その男性が、
そうですね~結構新しいですね~などと答えていたので、
新しい?!
どの時代を新しいっていうんだろう、と思った。
移築されたのは江戸時代でも、修復はしてるらしいから、そうすると新しいってことになるのか?
ところで、薬医門って、薬でも運ばれる門?と思って調べてみたら、
他の方のサイトで、矢を食い止める「矢食い」(やくい)という意味か、医者が通るのに使ったという意味かって話が書かれていた。他にも諸説ある模様。
確かに、薬医って、矢、食いだよな。
この参道は有名みたいだった。
昔、銀行の待合の椅子の横に置いてあったような、分厚い、マダム向けっぽい雑誌に出てきそうな写真の場所という感じがした(悪い意味ではない)。
参道を過ぎて、本堂の方へ向かったら、突然日当たりよく、広々。
見まわし、気になった方向へ。
石段があったので上りたくなり、母にちょっと見てくると言って、上った。
割と急だったので、母は行きたがらなかった。足元危ないので。
二尊院のサイトページには、湛空上人(たんくうしょうにん)廟ってあるが、他のところに、法然上人廟って書いてあったような?
湛空上人とは、法然上人の門下生で、二尊院で教えを広めた人らしい。
左の方へさらに進める。
蜂注意といった看板があった。
藤原定家が小倉百人一首を選定した時雨亭があったという説のある場所。
振り向けば
見晴らしがいい場所、小倉山の中腹にいるわけだが、
黒っぽい屋根が集まってるなーとか、山が近いなとか、嵐山をよく見ることができるのだけれど、
どれが何といったことは、自分にはわからないのだった。
母が待ってるから戻らねば、と石段を下りた。
ガイドブックにある通り、小倉餡の記念碑を確認。
石碑の後ろに説明書きがある。それによると、
小倉餡発祥は平安時代初期、820年ごろ、つまり、平安京ができてすぐのころ。
空海が809年に中国から持ち帰った小豆の種子を、小倉の里の菓子職人和三郎(もともと亀の子せんべい作ってたそうだが、当時の亀の子せんべいってどんなのかなぁ)が栽培して、御所から下賜された砂糖と煮詰めて、餡を作ったのが始まりらしい。
御所に毎年献上していた。
和三郎のおかげで、小豆栽培も広まり、その後、お茶菓子を作ることにつながったそうなので、小倉あんの小倉は、発祥の地の名前由来だったわけですね。
紅葉はまだだけれど、色づき始めた葉が青空に綺麗で
空いててよかった♪と思いながら、次へ。
(続く)