コロナウイルスの影響が、どんどん深刻になっています。
ところが、それ以前から私たちが暮らす日本の状況というのはかなりヤバかったというのがリアルなのかもしれません。
さて、こちらの記事の内容をどう捉えるでしょうか?
「またまたキンコン西野が言ってるよ~」でしょうか?それとも、「あ、とうとうヤバイかも。。」でしょうか?
実は、この記事を読んでいただいているあなたのその感想自体は特に意味を持たないと思います。もう少し具体的にいうと、私のこの記事にこうしてたどり着いている時点で、おそらく後者に近い感覚をお持ちの方であり、「まあそうだよね」としか言いようがないことをご理解いただける力のある方だと推察できるからです。
何を言いたいか。
日本はヤバいし、なんとかせんといかん。
「じゃあなんとかしようよ!勉強しようよ!」
とこうして声をあげる人たちがいても、すでに「なんとかしようよ!」と思っている皆さんのような人たちにしかこのメッセージが届かず、肝心要の諸悪の根源の人たちには届かないというパラドックスが今の本当のヤバさなんじゃないかと言いたいのです。
少し似たニュアンスの過去のエントリーはこちらになります。
一人一票が誰にも認められている、民主主義だ、と聞くと、とても良いことのように聞こえます。もちろん、私も人間が身分や性別によって優劣がつけられるなんてことがあってはならないと重々承知しています。みんな平等に権利を持っている。これは素晴らしいことです。
しかし、その平等な権利をもって多数決を行えば、必ず私たちにとって有益な判断を下せるかどうかは全く別問題なのです。
100人の村があって、90人がかなり危険な考えをもっていて、10人が優秀な人たちなのであれば、100人の村のためには10人の意見を尊重した方が良いこともある、ということです。専門家の意見とかもそういう側面はありますよね。
つまり、権利は平等であって良いわけですが、果たして私たちの社会をより豊かにするためにはどうしたら良いだろうか?という判断を、闇雲に多数決に任せてしまうのは非常に怖いということです。全体主義と言ったりもしますよね。それは、悲惨な戦争の数々から私たちが学ばなければいけない教訓です。
ところが、残念ながら今の日本ではそれが機能していないというのが現実です。
こちらのエントリーでは、「地方で、平等に一人一票の多数決を行うと、民主的な意思決定をもって姥捨山化していくかもしれない」という説を考えてみました。まさか、と思うかもしれませんが、考えようによっては私はこうなってしまう、あるいは、もうすでになっているかもしれないと思っています。
先に断っておくと、高齢者が正しい判断をできないと言いたいわけではありません。
しかし、昭和の価値観が染みに染みついた人たちが、スマホで何兆円もの資本が動くグローバル社会となってしまった令和で、40年先を見越した判断はとてもできないだろうというのが実態ではないかと一度冷静に考えてみてもらいたいのです。
もう少し言うと、「時代は変わっていると思う高齢者の方もいらっしゃるとは思いますが、多くの人々はそうもわからず、結局多数決では社会に有益な決をとれない」のではないでしょうかということです。この一つの事例が、自らによる姥捨山化なわけです。
私はこうしてチャンスがあって、地方に行きその実態を目の当たりにしました。あぁこりゃやべぇな、と。
数字だけで見ても、すでに半数が高齢者であり、その人たちの意思こそが絶対になる。政治においては。そして、伝統的な縦社会構造(世代間・肩書間の両面から)による権力集中も全てそちら側に。
言っても変わらないとかそういうレベルではなく、すみずみまでしっかり岩盤となっているわけです。何十年もかけて。私はこれを、年功序列ブロックチェーンだなぁと勝手に思っています。笑 皆さんが思うよりトランザクション処理が早いのが厄介なんです。
しかし、私たちはラッキーなことに、この不幸な鎖から離れる術を手に入れることができるようになりました。西野さんの記事を読むことができたり、こうして記事にすることができたり、SNSでつながれたりとテクノロジーによって解放されつつあります。
だからこそ、絶望するような数字や経済を見ても、まぁとりあえず生きようかなと私なんかは思えます。笑 「じゃあなんとかしようよ!勉強しようよ!」頑張ろう!と思えますよね。
ところがところが。
私たちがこうしてポジティブに歩もうとしても、前述の通り、システム上姥捨山になっていくのをどうにもできません。少子高齢化の怖さってやっぱりここだと思います。数で勝てない。
いかほど一生懸命訴えても、影響力がある人のSNSから大拡散しても、本当に届けるべき人たちはスマホをそもそも持ってない。だったりする。
SNS上で「みんなで学ぼう!」が大躍進しても、テレビでNHKを垂れ流しているお茶の間には届かない。
そして、選挙になれば結局同じ結果になる。
これが本当にヤバイところですよね。
実はこれが、世代が上の人に限定された話かというと割とそうでもなくて、冒頭の西野さんの話のような警告や経済の数字を見た私たちと同世代ぐらいの人たちが、「まぁでもなんとかなるでしょ」とか「先のことじゃなくて今のこともっと見ようよ」とか言い出しちゃったりすることなんかもけっこう多い気がしています。
どこかで落合陽一さんが指摘されていたのですが、「今の問題を語っているのに、今の問題と捉えられていない」ことが発生しているのです。
私の場合で言えば、地方ヤバイよ!という話をよくしているわけですが、多くの場合は相手にされません。(別にそれでも良いのでそうしている側面もありますが笑)「別にそうとも言えないでしょ」とか「おおげさだよ」とか。どこか他人事というか、むしろ私が何かを企んで悪い噂を流そうとしていて「なんでみんな頑張ってるのに、ヒドイこと言うのか」的な流れになったりもします。いや別にそんなつもりはなくて、ありのままを見るとこうなりますよ、という話でも、人間不思議なもので都合の悪いものからは目を背けたくなるのが性なようです。
うん、こりゃまぁヤバいよね。。というネガティブな話が今日の結論なのは非常に残念なのですが、西野さんの記事に対する率直な感想としてはこうでした。「じゃあどうやって社会を良くしていくのか?」については、また後日考えを書いてみたいと思います。
とにかく、私たちはなんとかしなきゃいけない。
そう思った方は西野さんの記事から気持ちをポジティブに奮い立たせよう!!笑
てらけん