前編では、"モノが安くなる"ということについて、広く一般的にどうやって安くなるのかを考えてみました。
今回は、もうすこし限定された環境下、すなわち、田舎ならではのモノの安くなり方:デフレ圧力について焦点をあてて考察してみたいと思います。
これは日本ではよく聞いたことがあるのではないでしょうか。
「1円でも安く!お客様にお届けするんだ!」
そんな正義感をもって商いを始めて成功した事業主のサクセスストーリーを、一度は目にしたことがある人は多いと思います。
かつて庶民には憧れのメニューを、量産体制の確立によって民主化し、国民に浸透させた。レトルトカレーとかでそういう話があったような気がします。
時代を振り返って、戦後のような日本が貧しかった時代においては、栄養のある食事もままならない多くの庶民にとってそのような画期的な仕組みを提供してくれる人はまさにヒーローでした。今も、ステーキを格安で提供してくれるとヒットしたりしましたよね。
この流れはもちろん田舎にもあり、むしろ田舎の方が色濃くその傾向が残っています。
理由はいくつかありますが、やはり大きいのは、その昭和のサクセスストーリーの時代を謳歌した世代:高齢世代の構成比率が異常に高いことが影響していると私は感じています。
時代や社会背景が大きく変化しても、人間の感覚の変化というのはそれに追いつかないケースが多々あります。ましてや、昨今のように非常に変化のスピードが速い時代になると、世の中と人間の感覚に大きなギャップが生じるのも無理はないかなと思います。
私もよく地元の方々とお話していてギャップを感じました。
「これ、こんな安くて良いの、、?」というものも、「昔はこんなのタダ同然だったのにねぇ。。」とこぼされるのは日常茶飯事です。東京でも暮らしたことがある私からするとあり得ないのですが、その経験もなく安さが絶対正義だったころの体験の方が強烈に身に染みている側からすると信じられないのでしょう。
この感覚が全体にいきわたっていると、高いことが悪に連動して【儲けている奴は悪い奴だ】というコンセンサスが醸成されていきます。誰かがそう規定した、というよりも"なんとなくそうなっていく"ような感じです。
「あそこのうちは儲かってるからねぇ~」に、なんとなく「あそこのうちは儲かってるから(いいわよ)ねぇ~(うちなんてこんななのに)」がニュアンスとして含まれていく感じです。
本質的なところでは、別に儲かっていることが悪いことではないし、ちゃんと事業をやってちゃんと収益が出て、事業がまわっているなら問題ないはずです。むしろ、そういう事業者がどんどん出てくることによって地域の経済が循環していくというものです。
ところが、前述の"高いは悪"というかつての感覚と、羨望や妬みといった感情も相まって、なんとなく儲けている奴は悪い奴だ=儲けない自分である方が善い、といった流れが生まれてしまいます。それに、日本人や田舎独特の同調圧力が加わっていくと話はどんどん厄介になっていきます。
田舎では、各家庭の家計簿が流出するような露骨なプライバシー情報漏洩みたいなことまではないものの、「あの家は新車を買った」「リフォームにいくらぐらいかけたらしい」的な噂話はすぐに広がります。役場に勤めている人が親戚なんてこともよくあるので、ある一定の納税情報なんかも巷にはうっすら見えているんだろうなとも思います。
昔は今より身分というか、良いおうちとそうでないおうちの貧富の差はハッキリしていたようで、学校に通う子供の服装等で一目瞭然だったんだそうです。だからそういうことからも計算して、「あのうちは儲かっている」ということをかなり正確に類推できる。ちょっと恐ろしい世界です。
儲けていることが外にバレると悪者になってしまう。
のであれば、そう見せたくはないのが心理です。
つまり、「実際にはそれなりに儲かっているが、そうは見せたくない」、あるいは、「そもそも儲けない」方向に気持ちが傾きます。
事業でお金を集めるのはいろいろ工夫が必要ですが、逆はシンプルです。
そう、モノを安く提供すれば良い。
値段を安く出せば、もちろん入ってくるお金は減り、儲からない。
本来、事業報告書の数字としては全く良くないのですが、数字ではない地域内の評価軸上ではポイントが稼げる、儲かる(?)。
決算報告書上の数字をとりにいくのか、町の声という見えない評価をとりにいくのか。
それに悩むだけでも、それが全くない東京の市場原理だけで商売をやっている人たちに比べればデフレ圧力がかかっていると言っても良いのではないかと私は感じました。
一番厄介なのは、本当に決算報告書を見て「あ、この企業はこのOO円儲かってるんだな」という噂がたつのではなく、あくまで邪推でその判決がくだされてしまうことです。
つまり、実際は言うほど儲かっていないのに、"なんか気にくわない"という一部の人の感情の匙加減でも下駄をはかされてしまう恐れがあるのです。先行投資ということで、借金をして設備を購入したのであれば、事業としては儲かっているからピカピカの設備が導入できたってわけじゃありません。むしろ、勝負時だからこそ、リスクをとってそうなっているわけです。
ところが、その背景をよく知らない人が通りがけに、
「あそこはどんどん機械を新しくして、さぞ儲かってるに違いない」
と思い込んで尾ひれはひれつけて言いふらしてしまったとしたら、いつの間にかそっちのほうが市場の判断になってしまう。残念なことです。
逆のこともあったりして、
「あんな値段でものを売らなきゃいけないほど、あそこのうちはカネに困ってるんじゃないか」
という噂話もまたポイント減になります。どっちにつけば良いのか。。
そういうリスクがあることや、実際に過去そんなケースがあったことを重々承知しているからこそ、できるだけ値段は安く見せ、「うちはそうではないですよ」ということをアピールしておかなければいけないのが、田舎ならではのデフレ圧力の一部です。
教科書で語られるような単純な経済の公式ほど、実際の経済と人間の心理は一筋縄では計算できないということですね。
てらけん