上杉治憲は 、江戸桜田にある藩邸の中で 、じっと庭の池の中をみつめていた 。池の中には沢山の魚がいた 。金魚もいれば鯉もいる 。藩士のこどもが外の川や沼で釣ってきて投げこんだハヤやヤマベもいる 。フナもいる 。生まれや育ちで 、魚の生きかたもずいぶんちがう 。ちがいは 、泳ぎかたにあらわれた 。泳ぎかたが 、池の中におけるそれぞれの魚の意気ごみであり 、この世に対する態度であった 。池の全体像をとらえ 、悠々と自信に満ちて泳ぐ鯉 、泳ぐよりも底に坐って怠けていることの多い金魚 、ツ ー 、ツ ーと狭い池の中を 、むかし育った川と勘ちがいして泳ぎぬくヤマベやハヤ 、何を考えているのかわからないような泳ぎかたをつづけるフナなど 、みていてまったく飽きなかった 。
童門冬二 小説 「上杉鷹山」より
みんなとの違いは大切なこと。並んで動くことも必要だけど、それ以外は思うがままに動いてみよう。動かなくてもいい。
学校と池の似ているところを比べてみよう。
学校も池も大きさは違うけれど、動ける範囲は決まっている。
学校も池もいろいろな人がいる
学校も池もルールがある
学校も池も自由に動ける場所がある
学校も池も、その中にいるととっても広くてドキドキする場所かもしれない。けど、外を見てみよう。もっともっと世界は広い。今いる場所は世界人口70億人分の30人程度のクラスでしかない。学校は小さな箱。だから好きなように行動してみよう。けど、その中のルールは守らないと学校の中も池の中もゴチャゴチャになってしまうことは忘れずにね。
足を前に出して、一歩踏み出してから「何をしようか?」考えたって問題ないよ。
みんなと違っていい