サンクスカードというものがありまして。
こちらの記事になっているように、かなり一般的な制度だと思います。
何かの本、コストをかけずにモチベーションを引き出す要旨のものだったと記憶しています。それが走りだったのかな?それによって一気に広まったようです。
これ、結構問題がありまして。
本来の趣旨は、感謝の言葉を形にする、というものだと思うんです。
ところが、「みんなで書こう」というような声掛けが発生したり、ノルマを作ったり。
そういうもんじゃないでしょう?という話です。
冒頭の記事では課題として「カードへの手書きという負担」と書いています。
私はちょっと反対です。なぜかというと、その手間があるからこそ意味がある、という点があるからです。
「ちょっと」と書いたのはケースバイケースだからです。
こちら、コミュニティサービスをやってきた方の講演ログです。
「アクションに時間をかけさせると、満足度が上がる」「ロジックや経済合理性から離れてみる」というパラグラフをご覧ください
あるコミュニティのシステムにおいて、お礼を言う文化を醸成したいと。それで簡単にお礼を言えるボタンを作ったと。
そしたらユーザーから大クレームが来ましたという話です。
講演者の方は「コミュニティには二種類ある。知恵のやり取りができるもの、お互いのコミュニケーションができるもの。後者で簡単なお礼ボタンを作ってしまうのはよくない」と解説します。
実際には、コミュニティが存在するのはおそらく二つの間なんだと思います。
知識のやり取りもするけれど、コミュニケーションの場でもある。
そして、人それぞれ大体の感覚は同じだけれど、微妙に違っていたりするし、その人自身のスタンスも気分や時系列で変わる。
サンクスカードというのはコミュニケーションの場をより良くするものだと思います。だから「手書きという負担がある」事が皆わかっている状態が良いのだと思うのです。
手間がかかっていても、書いてくれた。だから嬉しい。上記で紹介したサービスの「あるべきお礼」にもつながります。
ノルマ化してはいけない理由もこれの派生だったりします。
ノルマ化されていると、「ありがとう、は、ありがとう、なんだけど、、うん、まぁ、ね」と。もやっとしません?
しませんか、そうですか。
こういうのは、「手間をかけさせる合理性がある」というロジックなんじゃないかなぁ?と思います。だからこの記事のタイトルは「効率化しないという最適化」であって「合理化しないという最適化」ではないんです。効率化しないことがその場では合理的だからです。
「人が気付かないところにお金をかけるのが本当のおしゃれだ」的な。
最後にある会社さんの事例を引用します。
カードを誰かに贈る条件として、ほとんど何もルール化していない。自然とやり取りされる雰囲気を作ることを最優先した。
これが本来あるべきToBeではないでしょうか?
雰囲気づくり、何やったんでしょうね?
ではでは
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