こういう質問が来た場合、私は返答内容に意識が向くより先に、警戒をします。
何かをできるかできないかというのは、できた方がいいに決まっていますよね?
英語だってアラビア語だって、ドイツ語だってフランス語だって習得できればいいでしょう。
中国語(北京語、マンダリンです)やスペイン語が話せればビジネスで役に立つかはともかく、多くの人と会話ができるでしょう。
では、できるかできないか、できた方が良いという結論が明らかなものを、なぜ聞くのか?というのが疑問なのです。
例えば、昇進の条件の一つがTOEICをN点以上。だからTOEICを高得点取らねばならない。
そんな人は質問するまでもなく勉強するわけです。
じゃぁ、質問をする人はどういう人なのかというと、現状の日本でいうと高校一年生とか?
後は、引退したお年寄りとかですかねぇ?
切羽詰まっていない余裕がある人か、やらなくていい合理的な納得のいく理由を探している人だと思われます。
前者は言うまでもなく、ガンガン力を入れて伸ばしておくべきだと思います。
後者は、人によります。よく知らないご隠居さんがふらりときて、「英語は勉強した方がいいかな?」と言われても困るんです。
何故困るか。
その人が何を目指しているのか、全く分からないし、今までの素養がわからないからです。
例えば純粋にQOLを最大化するのであれば、お孫さんやご家族と過ごす時間を大切にした方が良いんじゃないか?と思います。「ここから一旗揚げたいんだ!」という方であったとしても、今まで積み重ねた語学の素養がある方なら意味があるかもしれません。趣味としての英語の勉強だったらまた意味合いが違ってきます。
そして、やらなくていい理由を探している人に関しては、「こういう理由があるからやれないんじゃない、やらないんだ」という根拠の片棒を担ぎたくないんです。
他人様のブログの引用で済ますのもアレですが。
「英語を勉強すべきか否か」という二択の答えであっても、誠実な(誠実であろうとする)回答者は「相手はどうしようとしているのか」「語学の習得は年単位でのコストがかかるが、それに見合うのか」「そもそも習得が目的なのか、勉強自体を楽しんでいるのか」等を考慮するんです。
匿名で面識がほとんどない状態で「○○すべきですか?」という一言の質問というのは、ちょっと。どうなんでしょうね?
逆に、2~3回やり取りしただけの人に「○○すべきですか?」と質問されて困りませんか?
相手の立場に立つという事自体、難しいものだと思いますけど。
本音としては知ったこっちゃないんですが、「知りませんよ」と書くのは憚られるのが一般的かと思います。
(長々と書かれてもそれはそれで困ります。)
上記引用記事で出てくる「やたらと他人にアドバイスをするのが好きな人」関連で面白い本があります。
ログミーさんでもこちらの方の講演を読めます。
上記はアドバイスに見せかけたマウントや呪いの話です。こちらはこちらで面白いので興味がある方はどうぞ。
なんとなく質問する人は、こういう「やたらと他人にアドバイスをするのが好きな人」と仲良くすると良いんじゃないかな?と思います。
私は、やるべきかやらないべきか、どちらがコストに見合うのか、くらいは自分で判断できた方が良いんじゃないかと思う派です。
「やった方が良いんじゃないスか?」と言っても、やる人はほんのわずかです。
質問する人の多くが、前述の通り「切羽詰まっていない余裕がある人か、やらなくていい合理的な納得のいく理由を探している人」だからです。
日常生活で何とかなっているのに、さらに追い込める社会人は多くないでしょうし、後者には私の返答は無意味です。
ま、虚しいですわな。
「やろう、と思うが分切りがつかない。事情を知っている人にちょっとだけ後押しをしてほしい」という人は、わずかなんです。
それ以外の「やる人」ですか?
質問する前に、もう、やってます。
ではでは
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