最近、自分で勝手気ままに文章を書いていて思うことがある。
それは対象との距離感だったり進入角度は人によって違うはずなんだけど、ネット上ではある1つの方向性に勢いがつきがちだということ。そういったモメンタムが出来上がってしまうと、それに対して逆のことは言いにくくなるし、言ったとしても声が小さい(数が少ない)からかき消されてしまう。
例えば、週刊少年ジャンプで新たに連載が始まった「魔女の守人」がネット上で話題だ。こんな様子です。
ざっくりまとめると、
・進撃の巨人にそっくりだ(似たポイントが多すぎる)
・鬼滅の刃要素も入っている(「お前をの人に戻してやる」)
・おいおい他にどんなマンガの要素があるんだおい
とまぁ、他の作品との共通点をあげつらって楽しんでいるのが今の状態。むかし集英社が「進撃の巨人」の持ち込まれるも断ったという逸話もあったため大盛り上がり。ネット上は「パクリ要素」を探して、それをどれだけ面白く(大喜利的に)投稿できるか、そんな流れになっている。
私も本誌で読んだが読後の瞬間的な反応は、そんな感じになるのもまぁ頷ける。しかし、ここで冒頭の対象との距離感や進入角度という話が入ってくると思う。といっても、これは宇野常寛さんの受け売りでしかないのだけど、ある事象に対して自分はどう思うか?というのを何よりも先ず考える必要があると思っていて、それが無いままに情報だけ浴びてしまうと結局は他人が言うことをそのまま鵜呑みしたり、ただ反射的に好き嫌いとかの反応をしていかざるを得なくなる。それくらい、現代の情報環境は(スピードが)早いし(情報量が)多い。これも宇野さんの主張だが「遅いインターネット」というのは必要だと思うし、賛成である。
「魔女の守人」に話を戻すと、週刊少年ジャンプの編集者の考えることだ。きっと、何か大きな仕掛けを用意しているのではないか?と私は期待している。進撃の巨人を取り逃がしたうえに、パクリ疑惑を持たれて終わるような企業ではなかろう。
というのも、こそこそとパクるのであれば、あそこまで明らかにそして第1話からパクリ要素をいれるのも不思議な気がしている。それが意図的であるならば、パクリ元の作品(「進撃の巨人」「鬼滅の刃」)を作者+編集者がジャンプなりに解釈し、何か付加的なオリジナル要素を乗せてくるに違いないと思う。というか、それしかないと期待しかない。それが無かったらジャンプはやばいだろう。鬼滅の刃もそろそろ終わるし。
ちなみに「魔女の守人」のキャッチコピーは
魔女と騎士のダークファンタジー、開幕!!
大体の作品が連載開始時点から大きく変質を重ねていくから、このコピーの期待に違わず強烈なダークファンタジー化していくことを望みます。