これまでに何度も指摘されている問題ではありますが、田端さんのツイートをきっかけにして改めて考えてみました。
相変わらず手厳しいなぁと思いますが、このツイートには多くのコメントが寄せられており、広告会社で働く自分としては悲しいし凹むし、みんな広告会社への視線が厳しいよなぁと。
部族なわけなかろうが!
ハッタリ?そんなもんで効果が得られると思うほど、我々はクライアントをなめていません。
思っているなら直接言えばいいのに。
突っ込めよ!
とまぁ、色々と好き勝手言ってくれる人たちですが、この問題は古くから指摘されていて既にこういった記事が出ています。
いい機会なので私自身、この問題に対して向き合ってみたいと思いました。まずどんな問題提起がされているのか?それはこのようなことです。
たくさんの質問が出たのだが・・・。電通問題の話なども出た中、その流れで「大手広告代理店との打ち合わせは、なぜ人数が多いのか?発言する人が少ないのに。ムダではないか」という趣旨のご質問を頂いた。その場でも一応、答えたのだが、改めて帰宅して考えてみた。
※上記記事より引用
①あとで伝言ゲームをするよりも、その場で現場社員から決済者まで情報共有できるから実はスピーディー。
②役員から現場の実務担当者まで揃うと、普通にそれなりの人数になる。
③2に関連して、「いるだけ」と思われるかもしれないが、先方も同じくらいの役職を連れてくるのではと思ったりし、人数が肥大化していく。
④専門が細分化されており、普通にチームで仕事しているし、何にでも答えようとすると大人数にならざるを得ない。
⑤その場で何も言わなくても、あとでアイデアを出したり、アドバイスをしたり、若手を教育したりと、実は後で活躍する人というのがいる。
⑥進捗、リスクなどもろもろの管理。
⑦コスト意識の欠如。
ほぼほぼ網羅されているのは、さすが常見さん。正直、我々はどんな迷惑を掛けているのだろう?と思ったので少し考えてみました。
・お茶の用意が大変
→飲み物くらい持参します!
・会議室の確保が大変
→もし小さめの会議室しか取れないのであれば人数絞ります!
・何のためにあの人いるの?
→実害としての迷惑というよりそれは感情論の領域に入ると思うのですが、個人的に大きいと思うのはこれだと思います。常見さんが指摘する④のことです。「あの人なんの為に来てるの?」。
まずは一般的な我々の体制について振り返ってみましょう。ちなみに、案件の規模にも依りますが、いわゆるナショナルクライアント規模のキャンペーンに対応するチーム編成は大凡以下の通りです。
これは自社内に限っており社外の協力会社などは含みません。それに職能をもっともっと細かくすれば、それに伴って人数は増えます。つまり、細かい職能制に分かれたチーム編成であるから、案件が難しくなればなるほど関わる人も多くなる、というのが本質的なところかと思います。
個人的には少し前に話題になった池井戸潤氏の「下町ロケット」を思い浮かべます。ロケットの開発と広告業務を比べたら飛躍し過ぎかもしれませんが、ロケットを構成する部品の1つ1つが高品質・高性能な機能を求められるように、広告会社が担うプロジェクトも1人1人が高い専門性を求められると私は認識しています。
話を体制図に戻します。
担当役員や営業局長は限られたタイミングにしか出動しません。局次長や部長は平時の打ち合わせに同席することもありますが、基本は打ち合わせのアジェンダに応じたスタッフと担当営業が同席というのが基本です。常見さんが指摘していたように、クライアント側で上のレイヤーの方が出席される時には、我々側も同格の役職者が出席するという感じです。なので、一概に広告会社の奴らは人数が多いとは言い切れないと思うんです。
大人数でゾロゾロと打ち合わせに来ると言われるのは、競合プレだったり、トピックが多岐に渡る打ち合わせに限るのでは?と思う次第です。
しかし、広告会社に務める我々でもふと立ち止まって考えてしまうことがあります。それは、そんなに職能を細かく切り分ける必要ってあるかな?ということです。
広告会社の人間と名刺交換をしたことがある方ならご存知かと思いますが、複雑な部署名(組織再編のたびに変わる)と、違いが分からない肩書(戦略プランナー、PRプランナー、メディアプランナー)同じプランナーなのによくもまぁ細分化したなと。ただ、少数精鋭の広告会社では1人のプランナーがあらゆるプランニング業務を兼ねるということは往々にしてあるので、必ずしも細かく分けないとならないという訳ではないようです。
「御用聞き営業」と揶揄される時代もありましたが、今ではそんな営業はクライアントから相手にされないですし、営業担当側の意識も変わりました。といっても、主たる業務はクライアントと広告会社の窓口となる役割なのは変わらずですが、案件のスタートからクロージングまでを責任を持って執り進めるプロデューサーのような立ち回りが主な役割になった感じだと思っています。しかしながら日常の実態として、打ち合わせでは専門スタッフに話を振ってしまい営業自らが話すことは少ないので、「あいつ(営業)来なくてもいいんじゃね?」なんて言われてしまう辛い役回りでもあることには変わりありません。
日本はどこまでもジェネラリストを求める国(つまり、スペシャリスト軽視)なのではないかと思うことがあります。大人数で来るな!という指摘の裏側にも「それくらい1人で出来ないの?」という認識が見え隠れしている気がして、だからこそ「広告代理店の打ち合わせは大人数問題」が発生するのだと思っています。
専門スキルを持った存在の代表例として大学博士課程修了者に着目すると、彼らの就職率というのは7割弱でしかないことが分かる。新卒重視の傾向というのは相変わらずで、入社後も複数の部署をローテーションで経験させるジェネラリスト育成の傾向というのは相変わらずなのかもしれません。
驚きを隠せないのは、「民間企業が博士課程修了者を研究開発者として採用しない理由」が「特定分野の専門的知識は持つが、企業ではすぐには活用できないから(57.2%)」ということだ。大学は企業に人材を供給するための育成機関としか思っていないんだろう。
プロジェクトを遂行していくとき、特に広告業務のような前例が無い全く未知の領域の仕事を完遂しようとするとき、多くの専門スタッフの力を借りながら知識と知恵を結集して仕事を進める必要があります。その時に「ブハ、打ち合わせに来る人数が多すぎてウケる」とか言ってる場合なんだろうか?そんな、「あいつこの会議で一言も発言してないな」とか他人の観察に時間と意識を割くよりも、目の前の課題に全力で向き合うことが必要なんじゃないのだろうか?と思う。
たしかに、広告会社の打ち合わせは人数が多い。それは紛れもない事実である。ただ、1人でやれば効率的、大人数が関わるのは非効率という認識がもし根底にあるのであれば、一度その認識をも疑う姿勢を持った方がよいと私は思う。
仮に1人で、あるいは少人数でプロジェクトを進行できたとして、その業務負担がある特定の人にだけ過度に掛かってしまえば、もはや分散不可能な状況を生みだし、過去にあったような悲惨な事件が起こしてしまうように思う。
私個人としては、広告代理店は打ち合わせの人数多すぎなんだよ問題は、専門性の軽視と過度な仕事の偏りを避けるための意識の欠如、が根底にあると思っている。
我々は高尚でクリエイティビティに溢れた仕事をしているということを言いたいのでは決してない。しかし、複雑だったり、難しかったり、短期間で大がかりなことをしなければならなかったり、多くの人の専門知を借りないといけないくらいの仕事をやろうとしていることは間違いない。
私が思うのは、、、、
打ち合わせの人数くらいでゴチャゴチャ言うな!目的達成に集中しろ!それだけです。現場からは以上です。