つくしの思い出シリーズ3回目。今回は「早いうちに手本となる人を見つけること」について考えてみました。
大学生のうちに、「私は仕事をしていくうえで『こういう人になりたい』」と思う人に出会うことができた。それがマネックスの松本さんです。
どんな生活をしていたとしても、つまりマネックスで”つくし”をしていなかったとしても松本大さんを尊敬していたか?と言われると、そうではないと思う。しかし、”つくし”を経験をした誰もが松本さんを尊敬、あるいは好意的に思っているのではないかと思います。それは、松本さんの実績が成せる業でもありますが、それだけではない仕事への姿勢や考え方・人間性と呼べるものからなのではないかと思う訳です。
それらが読み取れるものの1つとして松本さんの著書がありますが、私は読める限り読みました。
・私の仕事術
もともとは「10億円を捨てた男の仕事術」というタイトルでしたが、出版社らしく注目を集めやすいキャッチーなタイトルにしたかったらしくそれになったらしいのですが、文庫版が出るにあたってつけ直したとのこと。
・お金という人生の呪縛
・お金の正体
・この国を作り変えよう
・世界のマーケットで戦ってきた僕が米国株を勧めるこれだけの理由
結構読んだな笑。あとは共著もありましたがそれも。
”つくし”をやっている間に読んだのは「私の仕事術」だけで、つくし卒業後に読んだ本の方が多かった。それ以外にも松本さんが取材を受けた雑誌GOETHE(2006年12月売)とか未だ捨てずに取ってあります笑。
学ぶの語源は「まねぶ(真似ぶ)」からきていると言われていますが、とにかく松本さんの真似から入ったことは多いです。(真似はしたけどモノになったかどうかは別問題です。)
「今もそうなんですが、大事にしているのは、とにかく自分の120%、150%、200%と、できるだけの力で走ろうという思いだけなんです。どこまで行こうとか、こういうふうになりたいとか、そういうものはない。自分としてできるだけのことをやろうと。それだけ」
そして、こうも語っていらっしゃいます。
私は自分に合うものを探すより目の前にあるものを好きになろうとするタイプ。他のことをやっていてもそれはそれで好きになっていたと思います。好きになればそのためにたくさんの時間を費やすし、時間を費やせば経験値が上がって仕事ができるようになる。そうすると次第に大きな仕事も任されるようになるものです。
私の社会人人生での失敗は、松本さんと全く逆をしてしまったことでした。「好きとか嫌い」とかばかり考えてしまった、先を見過ぎて足元を疎かにしてしまった、目の前にある仕事にしっかり向き合えなかった、そんな新卒時代を過ごしていました。まったく、俺は何を見ていたんだ、、と反省しっぱなしです。
松本さんはトレーダー出身だが、神棚への礼拝を欠かさない。つくしはその神棚に飾る「榊(さかき)」を買いに行ったものだった。
トレーダーというのは、うまくいくと、ついつい自分の存在を過大評価してしまうんです。それこそ、自分がマーケットよりも大きいと思い込んでしまったりする。そして、その瞬間にトレーダーとしてはダメになる。今はもうトレーダーではありませんが、金融マンとして、常にマーケットに生かしてもらっているのだ、という姿勢は忘れてはならない。勘違いしたら終わりだぞ、とそれを確認するための儀式なんです。
社長の考えは背中を見ていればわかるだろ、なんてのは、大きな誤解だと思っています。わかるわけないんですよ(笑)。実際、努力をしていても、「えっ、そんなふうに思ってた?」という誤解があった。コミュニケーションには終わりはありません。ギリギリまでやらないと。
言った/言わない問題というのはどの業界でも起きることだと思います。広告業界はプロジェクトごとにチームが編成されるし、職能別にスタッフがアサインされるのでフロントに立つ営業がクライアントのニーズをしっかり伝えないと正しいアウトプットが出てきません。加えて、制作物を作るときの細かい修正依頼なんかは、ただでさえ忙しいスタッフに伝えるのは一苦労だ。しかし、松本さんのコミュニケーションを知ってから「メールでも電話でも言っただけでは伝えたことにならない」「自分が思うように動いてもらって初めてコミュニケーションが成立する」ということは常に意識に留めて行動するようにしています。
どうしてそれほど頑張れるのか。そう問うと、あまり語られることのない事実を教えてくれた。実は彼には、尊敬する大好きな兄がいた。だが松本が小学生時代、兄はこの世を去った。人生が閉ざされたその兄のために、松本は2人分生きようと自分に誓った。以来、彼は2人分走り続けてきたのだ。
私にも弟がいた。しかし、弟は生まれて半年も経たずに亡くなってしまった。年子だったから、私が1歳の時の話だ。だから、記憶はない。正直弟の顔も覚えていないし、弟がいたという話だって親から聞いた話だ。全く実感のない話で、自分としてどう消化していいか分からないことだったが、お盆に帰省し先祖の墓参りで墓石に彫られた弟の名前を見るたびに寂しい思いに駆られた。親に詳細を聞いてもごまかされるだけだったし、きっと話したくないんだろうと、いつしか誰も弟について話さなくなり、我が家の禁忌のようになってしまっていた。「それってつまりいなかったことになっちゃうじゃん」と思ったのだけど、自分にはどうしようもなくて悔しかった。
その解決策というか、向き合い方を教えてくれたのが松本さんだったような気がする。松本さんに親近感を覚えたのはそういった背景があったこともあったのだと思う。私も松本さんのように「2人分」頑張れたら良かったのだけど、果たして頑張れているのか分からない。正直自分1人のことで精一杯な人生なので、松本さんの凄さが分かる。でも、俺も2人分頑張りたい。
週刊誌、月刊誌、国内紙、英字新聞など雑多に情報収集されていて、私もと思って色々と手に取りサイゾーは松本さんから教えてもらって読み始めました。仕事でもありますが、雑誌は今でも人より読んでます。
とにかく働きましたね。上司の指示を待つのではなく、自分で仕事をつくるんです。誰に頼まれたわけでもなく早朝に出勤し、ニューヨーク市場の値動きやニュースを自分なりに分析してグラフ化し、紙に取りまとめて先輩社員の机に配って回りました。
金融業界もそうですが、広告業界も多忙です。たとえ新卒であっても懇切丁寧に教えられることは稀でしょう。だからと言って、何もせずに待っていたら仕事は与えられないし(自分でやっちゃう人が多いから)、何もやらなくても何も言われないから放置されます。「これで給料もらえるなんて楽勝」とか思ったら終わりですから、仕事をしたいなら自ら積極的に仕掛けていく必要があります。たとえ年次が上がったとしても、クライアントからのオリエンを待っているだけでは結局競合プレにも参加できません。だから、積極的に提案する姿勢を見せていかないとやっぱり仕事は無くなってしまう訳です。自分で仕事を創るという姿勢はどの業界でも必要です。でも、その姿勢も見て聴いて学んだのは松本さんからだった。
ある程度社会人経験が貯まってきて松本さんと接することができたら、また違った学びがあったかもしれない。学生時代の自分では表面的なモノやコトしか吸収できないし、理解できなかったのかもしれないから、とにかく目で見て耳で聞いて盗めるものは盗んで真似をする、ということが自分にできる最大限のことだったと思う。しかし、その際に誰を手本にするか?というのは非常に重要なポイントであったと思うから、松本さんを手本とできたことが幸運だったなと振り返ってみても思います。
インターネットがなかった時代ならいざ知らず、これだけあらゆる情報に触れられる時代になってしまったので逆に手本となる人を見つけにくいかもしれません。深いところの情報まで触れられているようで、どうしても表層的なものしか手に入っていない気もしますからね。
それでも早いうちに手本となる人を見つけて、その人を真似て何かを学ぶことはその後の人生に役に立つので色々な人に出会うことをお勧めします。