鬼滅の刃にハマった大人が書くヒーローについての話です。
1日目は”ヒーローそのもの”について。
【目次】
・ヒーローを構成する要素4つ
-「悲劇(悲劇的境遇)」とはなにか?
-仲間の存在
-怒りの感情
-敵・宿敵の存在
-ワンピースにおける敵・悪とは?
それは「悲劇(悲劇的境遇)」「仲間」「怒りの感情」「敵」の4つだ。
「悲劇(悲劇的境遇)」とはなにか?
ヒーローに必要なもの、その最大の要素は「悲劇(悲劇的境遇)」ではないだろうか。例えばそれは仮面ライダーに代表される。
城北大学生物学研究室に在籍する本郷猛は、高い知能とともに、オートバイのレースに出るほどの運動神経にも恵まれていた。しかし、改造人間を使い世界を支配しようと企む「ショッカー」に目をつけられ、さらわれてしまう。「ショッカー」は動植物の能力を人間にプラスした改造人間を生み出そうとしていたのだ。本郷は「ショッカー」によって、バッタの能力を加えた改造人間にされてしまう。
最後の脳改造をされそうになった時、研究室の恩師・緑川博士によって救出され、ともに「ショッカー」のアジトから抜け出した。緑川博士も「ショッカー」にさらわれて協力を余儀なくされていたのだった。しかし、「ショッカー」の野望をくじくために緑川は本郷が改造されるよう画策し、しかも本郷が「ショッカー」と戦うための道具としてオートバイのサイクロン号と、強化スーツを用意していたのだ。
無事に逃げ延びたに思えた本郷と緑川だったが、潜伏先の倉庫をクモ男に襲われ、緑川は命を落としてしまう。さらに、父親に会いに来た緑川ルリ子に、本郷が緑川博士を殺したと誤解されてしまう。悲しみと孤独の中、それでも「ショッカー」と戦えるのは自分一人しかいないとの決意を胸に、仮面ライダーとなって戦いに向かうのだった。
※石森プロ公式HPより引用、ハイライトは著者作成
現在も続く平成令和ライダーからは想像もつかないが、仮面ライダーはショッカーが世界征服のために作ろうとした改造人間。つまり、もともとは悪の存在になるはずだったが、恩師・緑川博士の助けにより決定的な脳改造を免れてショッカーのアジトを脱出することに成功。もはや人間ではないという悲しみと孤独を抱えながらも、人々のために闘うことを決意する。
ここにあるのは悲劇だ。普通に生活していた男が、いきなり秘密結社に拉致され改造され、悪のために闘わされそうになるという悲劇。どんなに人から感謝されようと、自分は元の人間には戻れないのだという悲しみを抱えて闘う存在。仮面ライダーの原点には悲劇がある。
次にワンピースを例に挙げたい。ワンピースは新しい世代の漫画として人気になったが、その冒険譚のはじまりにはやはり悲劇と呼べる事件があった。
冒頭で描かれる悲劇、それは慕っていたシャンクスが自分のせいで片腕を失ってしまうシーン。幼少期のルフィにとって海賊になる大きなキッカケとなった事件だ。
さらに物語は進み、「マリンフォード篇」で再度大きな悲劇がルフィに訪れる。兄エースの死だ。先のシャンクスの片腕喪失も大きな悲劇だが、それとは比にならないくらいの衝撃で描かれ、ルフィはこれを機に生まれ変わったともいえる成長を遂げることになる。同篇では白ひげ海賊団の白ひげ(エドワード・ニューゲート)の死もあり、読者にとっては心理的衝撃がとてつもない期間だった。
ヒーローの誕生、あるいは成長において悲劇は必須要素である。
ワンピースを語る際、セットで語られる文脈が「仲間の大切さ」ではないだろうか。それは23巻・アラバスタ篇のビビとの別れのシーンがとても印象的である。
仮面ライダーにとっても、仮面ライダー2号(一文字隼人)がいるし、立花藤兵衛や少年仮面ライダー隊だっている。しかし先に述べたように、仮面ライダーは「悲しみと孤独を抱え、たった独りで闘う存在」だ。故に、仲間はいるにしても根本には孤独を抱えているといえる。
ワンピースにおいては個々のキャラクターそれぞれに背景、ストーリーがあり、それが詳細に語られる。作品としてルフィが主人公という形をとってはいるが、読者によってはゾロ、サンジ、ナミ、チョッパーなど仲間それぞれが主人公にもなり得るくらいキャラクターが濃密に描かれている。そしてそれぞれに悲劇を抱えており、それを乗り越えた成長を遂げている点からいえば、ワンピースは脇役のいないチーム全員がヒーローの群像劇であるといえる。
平成の時代に「世界に一つだけの花」が流行ったように、個々人の個性を尊重する世界というのが透けてみえるようだ。
怒りの感情
ヒーローが成長するとき、怒りの感情がある。それは自身の生命が危機に瀕したときもそうであるが、多くは大切な仲間の命が危険に晒されたときヒーローは覚醒しこれまでに無い大きな力を手に入れる。
仮面ライダーBLACK RXは怒りの感情(ロボライダー)のほか、哀しみの感情(バイオライダー)もあったため、心を揺さぶるような強烈な感情というのがヒーローの成長には不可欠といえる。
敵・宿敵の存在
さらに、ヒーローがヒーローとして成立するのに必要な存在として「敵」がいる。
仮面ライダーでいえばショッカーだ。後の平成ライダーシリーズでは明確な正義というのを描かない形で物語が展開したが(特に「龍騎」)、それは現代にも続いているだろう。絶対的な正義というのは、もはや存在しないといえる。
しかし、初代仮面ライダー当時は正義と悪がパッキリ別れていた。仮面ライダーが正義、ショッカーが悪。仮面ライダーが存在するためにはショッカーという悪が必要なのだ。そうでないと、改造人間にされてしまった本郷猛は人間にとって怪人と映る存在で、自分が駆逐されなければいけない対象になってしまう。存在の自己矛盾。
一方のワンピースにおいては敵というのが存在しないといえる。
クロコダイルもエネルもゲッコー・モリアも、敵として描かれているが、彼らの存在が無ければルフィの存在が脅かされるかというとそうではない。ルフィが掲げる「海賊王になる!」という目標の過程で障害となる人たちであって、ルフィは何かの正義を成そうとして彼らを打ち砕いたのではない。結果として、アラバスタ王国やジャヤに平和が訪れたことになるが、それが目標ではない。まるで水戸黄門。行く先々で問題を解決してまわる存在。
ワンピースにおける敵・悪とは?
そもそもルフィは海賊である。そしてワンピースには海軍が存在している。世の中的に考えれば、海賊=無法者集団=悪、海軍=政府機関=正義、と語ることができる。
ここでも多面的な正義を語ることができる。
ルフィが掲げる正義があれば、海軍が掲げる正義がある。背中に正義と書かれたコートを羽織る海軍大将たちこそが正義であるような気もするが、彼らはルフィの夢を打ち砕かんとする敵として描かれる。
特異的に絶対的な悪として描かれる黒ひげ海賊団が敵ともいえるが、彼らなりの悪人の仁義なるものがあるとすれば、それも理解する必要があるのだろうか?ワンピースにおいては、仮面ライダーを語るようにヒーローと敵を分かりやすく語ることができない。「味方」と「敵」がかなり流動的だし、固定的に捉えることができない。
以上、仮面ライダーとワンピースという2つの作品をもとにヒーローに必要な要素3つを挙げてみた。それは最終的に語りたい「鬼滅の刃」にも踏襲されている。
次回は日米におけるヒーローの描かれ方について書いていきたい。