ヴォエっす(´⊙ω⊙`)
うめ吉っちゃんやぞ☆
7月21日は参議院議員選挙の投票日ですね!
もう期日前投票は始まっているので、すでに投票に行かれた方もいらっしゃるでしょうけど、今回の選挙関連のことを色々見聞きして思ったことや、前からずっと思っていたことをつらつらと書いていきます!
参議院は衆議院ほどの重要性はないにしても、日本国民がどういうことを望んでいるか、現状の政策に対してどれぐらい信任があるかを察る大事な機会です。
にもかかわらず、マスメディアの言うことを鵜呑みにして、自分の意見や希望することがない人多すぎやしませんか?
これ、みんなが悪いっていうんじゃなくてそもそも日本社会に議論する土壌がないんですよね。論理的思考ができるできないだけでなく、相手の意見を深く掘り下げて論点を洗い出して、そこに対してこうだよね、ああだよねっていうやり取りをすることで核心に迫っていくことをせずに結論だけをぶつけ合う文化や、個人の人格を攻撃したりという風潮があって、だから争いたくなくて意見を主張しないしできない。結果、政治に対しても大人同士で話ができないわけです。面倒を避けるなら日本社会では政治の話題は避けるか、マスメディアが言うような表面上の話をして周りもうんうんと肯定しかしない。
SNS時代になって、人間関係の面倒事を気にせず話ができる場所ができて、そこでは政治の話もできるようにはなったけれども、他人の主張を鵜呑みにするだけだったり、結論だけをぶつけ合って核心の部分がズレていたり、ただの個人攻撃だったりという形になっているものをたくさん見かけます。しかしSNSの方がしっかり自分で考えられた意見や、ちゃんとした政策の議論になっている場はあるので、そういう方々の意見や議論を見るのは非常に勉強になりますね。少数だけど。
うめ吉っちゃんもちゃんとした議論ってやつが完璧に出来ているかといえばそうでもないと思うけどさあ、せめて論点のズレた個人攻撃やめるのと、思い込みで人の話聞かないのだけはやめようという心がけはしようと思いますねー。いい大人が生活に関わる政治の議論できない社会なんて、いやじゃないですか。意見と人格は分けて語りたい。
そうして議論をした中でお互いの意見が合わない時もある。見方の違いや好みの問題になると、「どちらが正しい」とは言えないことも、ごまんと出てきますからね!「朝ごはんはお米とパンのどちらが良いか」なんて好みの問題なのでお互い激しく主張し合っても、どちらも間違ってない。でも話し合った結果お互い譲れないけれども、どうしてもどちらかに統一しなければならないってなったら、投票で決めるしかないもんね。そんな時に「お米派は頭が悪い」「パン派は非国民」とか言い合ってたら、どっちもアホでしょ!
日本はいま65歳以上の方が27%を超える超高齢社会になっています。高齢者ばかりを手厚くしている、と言われていますが高齢者の中にも貧困の方も大勢います。全ての高齢者が豊かな訳ではなく、ここにも格差があるのです。
そして憲法で「健康で文化的な最低限度の生活」を守ることが書かれている以上は、貧困者に関しては若者も高齢者も関係なく、政府は生活を保障しなければならないんですね。憲法が他の法律と違うところは、憲法は「国家を縛る鎖」であるということです。他の法律は国民やそこに関連する政府の機能に強制力を持たせるもので、法律こそが権力なんですけど、権力に制限をかけて命令するのが憲法なんです。だから誰であろうと日本人に生活困窮者が出るということは憲法違反に当たるわけですよ。まーもちろん国家だって例外なく全ての人をってのは不可能なんでしょうけど、社会問題化している時点で極端な例外じゃないですもんね。
うめ吉っちゃんは高齢者優遇には反対ですが、「高齢者優遇をやめる」というのは別に高齢者は早く死ねよとか言ってるわけではなく、子供であろうが高齢者であろうが健康で文化的な生活ができるようにした上で、さらに力を入れるべきは物欲もその他の人を欲も旺盛な若者で、選択できる環境が整った上で最低限の生活でいいのか豊かな老後を送りたいかは自分次第ですよ、ってなった方がフェアじゃないですか。
それと、今の政府のあり方は国を発展させようという方向じゃなく、悪くならないように維持しようというスタンスだと思うんですよね。今の経済状況がそのまま続く想定で、それだと年金制度が維持できないから、維持させるためにもっと増税しますってことです。なぜ、今の経済状況の方をもっと問題視しないの?景気がめっちゃ良くなって儲かれば、増税しなくても税収は増えるじゃないですか。結局、経済政策の無能無策から論点をずらして目を逸らさせるために、増税して維持していきましょうとか言うてるんですよ。仕方のないことだと。いやー全然仕方なくないです。30年も経済を停滞させたからでしょうと。
でもって国民の方はと言うと、国として社会全体として豊かになるのはもう諦めちゃって、自分だけでも沈む泥船から逃げられればいいやってなっちゃってる。
うめ吉っちゃんは、数年今より厳しくなっても、一旦リセットして再構築できるならいいかなって思うんだよね。いまの90歳近い高齢者は焼け野原から日本を発展させたっていうけど、今の子供たちにその力がないって言えます?戦争は嫌だから避けるとして、一旦経済がめちゃくちゃ混乱して、新たに作り直さなきゃってなった時に今の子供や若い人が今より良い社会システムを作れない、なんてことはないです。システムぶっ壊しても、知識や技術は受け継いだ上で大人にはできない自由な発想ができるからね。
まあ、大人が社会全体で豊かになることを諦めるってことは、その下の世代の子供たちにも豊かになることを諦めさせるようなもんだと思うわ。
現状維持って緩やかな衰退だよねっ。
高齢者を支える現役世代が減る、ってよく見るじゃないですか。あれって、本当に高齢者はみんな社会保障で支えないと生きていけないんですかね?そら高齢者と現役世代の単純な人数の割合で見たらそうなんですが、たくさん資産を持ってる高齢者は社会保障費をしこたまかけなくても生きていけるじゃないですか。と言うことは高齢者全てを支える必要はなくて、社会全体が今より豊かになれば、支えなければならない人は減ると思うんですよ。
逆に、資産を使い切ったり下の世代に贈与してもそこそこ豊かに生きていけるならば、体が動けなくなったり欲が少なくなってお金の使い道が減っていくほどに持っている資産は少なくても良いんですよね?
よく見るあの「少ない現役世代が高齢者を支える図」は、高齢者は生活が困難という前提があって成り立っているんです。変じゃないですか。高齢者の方がいっぱい資産を持ってるって言われてんのに。
生活困窮者を支える社会保障を前提として考えて、生活困窮者を自分の稼ぎだけで「健康で文化的な最低限度に生活」ができるように引き上げ、さらに意欲のある人がリスクをとって上乗せで稼げる社会にしていく方向で考えられないですかね?最悪、リスクをとってビジネスをやってみて失敗しても生活できる最低限はなんとかなる、となればチャレンジしたい人増えるんじゃないですか。
そのためには、子供が置かれる環境の水準を上げていくのが良いと思うんです。だから一番手厚くするのは子供と子育て世帯に対して。うめ吉っちゃん独身で子育てもしてないですけど、社会全体の水準を上げるためにお金と手間を注ぐのは是非どんどんやってもらいたい。だって生活困窮者が減れば、そこに充てる社会保障費も減るんですから。
ちょっと語りたいこと多すぎて書ききれないんでざっと書きます。
教育や子供の置かれる環境への投資、フェアな競争のためのルール作り、個人主義的な考え方から新しいコミュニティ主義(地域ではなく自分で選択できるコミュニティでの相互扶助)を掲げる人や、それに近しい考え方の人がいたら是非投票したいなーと思っていたけど、自分とこの選挙区に近い考え方の候補者いなかったですねー。
多様性の時代に小選挙区って選択肢少なくないですか?比例区はありますけど。それもどうにかして欲しい。
なんか不満ばっかりの気がしますが気のせい。近頃の若者は〜なんて言いますけど、今の若い人、優秀な人はとことんすごいですよ。ゴイスーです。
未来を明るくしたい。否、未来を明るくするのは我々じゃー!!
あと政治のこと熱く話してもドン引きされない社会に…!
以上、楽しく生きたいうめ吉っちゃんでした!
この記事をかいたおじさん