ヴォエっす(´⊙ω⊙`)
うめ吉っちゃんやぞ☆
ドMの医者とはこの人だ!
飯テロBJ先生への本日のメニューは、
・大阪キ◯タマリオ
・一生オムツになりかけた
・愛しのババア
の3品となっております。
※非常に不快になる表現を含む可能性がある為、ご了承下さい
うめ吉っちゃんが大阪に住んでいた時の話だ。
当時、東日本大震災の後に仙台から連れてきたシングルマザーの彼女と同棲中だったんだけど、しこたま稼がにゃならんということで毎日モリモリ仕事をこなす日々を過ごしていた。。
しかし、ある日うめ吉っちゃんはどうも体がダルくて熱っぽくなり、検温すると38度台あったので、会社に連絡を入れ、次の日の仕事を休むことにした。
ちょっと高い熱だがまあ風邪だろう、1日休めばまたバリバリ仕事できるさーとあまり気にも止めていなかったが、子供に感染ると良くないよなと思い、少し距離を置いていたのだけど、あまりにも暇だったので仕事休んだ分際で近くのショッピングモールにちょっとだけみんなで遊びに行ったんだよ。
で、家に帰るとなんか変だ。
耳の下の方が痛い。
これ、明らかに腫れてるよなあと思いながら、それでも明日にゃ良くなるさと軽い気持ちでいたんだが、朝になると顔がパンパンに膨れ上がっていた。
熱もさらに上がって39度台になっていたし、何より下半身にもの凄く違和感が。
トイレに行って確認すると、左側のアレもパンパンに腫れていた。
いや、パンパンどころじゃない、今まで見たことない、ソフトボールぐらいの大きさになっていた。
ファミコンで見たよ、1-2で壁に挟まりながら天井の上に上がって、コインの表示の上に座るアレ。
さすがにやべえと思い、近くのちょっと大きな病院の泌尿器科を受診すると、「これ、おたふく風邪だね〜、小さい頃かからなかったの?」と言われた。
すぐに入院するように、とのこと。
しかし、それからが地獄の始まりだった。
この病院、とんでもなくメシマズ病院だったのだ。
うめ吉っちゃん、嫌いな食べ物はなく何でも食べるし、死んだ愛しのババアからは「百姓の家の子は飯の有り難みを噛みしめて、出されたものは何でも食べなさい」と教育を受けてきたので、ちょっとお口に合わないなと思っても顔には出さずにモリモリ食べるのだが、次元が違った。
泣くほど、いや吐くほどまずい。
「ちゃんと食べないと元気にならないよ」と看護師さんには言われたが無理だった。
出された飯はほとんど食えず、お見舞いに来てくれた彼女に何か買ってきてもらうか、売店でおにぎりやサンドウィッチを買って食べて、飢えをしのいだ。
正直、病気の症状よりキツイ…
最初は病院のせいで美味しく感じないのかもしれないと思っていたが、売店で買ったおにぎりはウマイし、症状が良くなってきても相変わらずのまずさだったのだ。
お陰で1週間後の退院までに3キロ痩せた。
多分、もっと重篤な症状だったら飯のせいで生きる希望を失っていたかもしれない。
大阪の話はそれぐらい。
うめ吉っちゃん、今年3月に腰椎椎間板ヘルニアで手術をしたのだが、前の年の3月に一度腰の痛みで立てなくなり、救急搬送されて入院していたんだ。
昔うちのババアがその病院に入院してたことがある。
大阪の件でメシマズ病院に恐怖を感じていたのだが、思いのほか普通の食事で安心した。
こういっちゃ何だけど、激務続きだったので10日間も休むことができてラッキーぐらいの気持ちで入院生活を送ることができて良かった。
MRIを撮って「腰椎椎間板ヘルニア」と診断されたが、主治医になった医師からは「とりあえず保存療法で様子を見ましょう」とのことで、その後はトラムセットとセレコックスを飲みながら様子見することに。
毎月通院し、経過報告しながら様子見、様子見。
半年後、薬を飲んでも痛みと痺れが強くなってきたので薬を増量して、様子見。
10ヶ月後、あまりに良くならないのでもうこれ手術できませんかと伝えると、「ん〜脊椎外科の先生に相談してみよっか」と言われる。
再びMRIを撮って、脊椎外科の医師に見てもらうと「あっ…」みたいな反応が。
「あっ…」て何、え?え?
「これもう手術するしかないよー、多分神経にべったり癒着しちゃってるだろうね。手術日設定するけど、もし排尿排便の時感覚がなくなったらすぐ救急車読んで緊急手術になるから。その時は24時間以内に手術しないと手遅れになるよ。そしたら一生オムツだよ」
「いつなってもおかしくないから。普通は保存療法3ヶ月やって改善なかったらすぐ手術なんだけどなあ。何で早くやらなかったの」
やばかった、知らなかったらやばかった。
いや、何で早くやらなかったのじゃないよ、おたくんとこの医者だよ、ずっと様子見してたの…
うめ吉は、手術した。
中学3年の時だった。
うめ吉っちゃん、実家で我が祖母(ババア)と同居してたんだ。
おばあちゃん子だったんだよ、愛しのババア。
ある日ババアは畑仕事に出たまま、あまりにも帰りが遅かったので父と一緒に様子を見に行くと、ババアが畑の隅で頭を押さえてアーアー唸っていた。
急いで近くの内科に連れて行くと、これは脳外科で脳のCTを撮った方が良いということだったので、今度は脳外科に。
診断は、「くも膜下出血」
すぐに脳外科から救急車で大きな病院に運ばれて、緊急手術になった。
のちにうめ吉っちゃんが腰椎椎間板ヘルニアの手術を受ける、その病院だ。
ババアの手術は成功したそうで、ICUに入った。
1週間ちょっとしてから、ICUから一般病棟に移った。
いや本当に良かったよ、早く会いたいなあ、愛しのババア。
もう少し体力がついたら、面会にも行けるそうだ。
さらに数日後、ババアは亡くなった。
容体が急変したということだが、ちょっと前から熱が出て、肩で息をするような感じだったらしい。
その前には何度か食事中にむせ混みがあって、途中で食事を中止したそうだ。
記憶の中ではババアなんだが、74歳だった。
今思えばまだ若い。
と、さらっと医師は言ってのけたらしい。
いや実際そうなんだろうけどさあ。
もっと言い方あるやん、と。
手術して一旦は成功したってだけでありがたいことなんだけど…
結局、愛しのババアと最後に会ったのは、病院に連れて行った日でした。
救えない命もあるだろうけど、命に対する感覚が麻痺しちゃったらダメだよな、と今でも思いますわ。
今年のお盆も、ババアの墓参りに行こう。
ちなみにジジイの方は小学生の時になくなりましたが、大酒飲みで肝硬変で亡くなったんで親戚一同、まあ自業自得だよなと完全に納得してました。
本当はまだあるんだけど、全部書くとむしろうめ吉っちゃんの方が心が狭い奴だと思われそうなんでやめときます。
医師や医療従事者だって、にんげんだもの。
今回はここまで!
ところてん食べたい。
この記事をかいたおじさん