ヴォエっす(´⊙ω⊙`)
うめ吉っちゃんやぞ☆
三輪江一という人も出演している、
ハッピーアイランド是非見て下さい!
そして九州でも公開してな!
東京とか大阪まで見に行けんから!
見る人が多くて九州でも公開になったら見たいんや!
それかまあDVDが出たら買うか…!
そんなわけで、
東日本大震災“3.11”からもう8年になるんやな!
おっちゃんは8年前、
大阪に住んどったんやけど、
その時、
遠距離恋愛中の彼女がおった!
そして3.11の日、
おっちゃんはオフィスで仕事をしていて、
PCとにらめっこをしている時に、
ぐらぐらっと突然揺れたんやな!
オフィスは4階やったけど、
まあまあわかるぐらい揺れたから、
「これ、震度2か3ぐらいかな」なんて言いながら、
一応、
インターネットで震源を調べたんや!
そしたら震源は、
三陸沖…宮城県やないか!
そんなところの地震で、
大阪まで揺れがわかるって、
異常やってのはすぐにわかった!
そして、
実はおっちゃんの彼女も、
仙台に住んどったんや…!
すぐに携帯に連絡するも、
全く繋がらず…!
ぞっとして吐き気が込み上げてくる!
その後、
何度も連絡するも、
その日は繋がらず、
夕方の仕事での訪問もキャンセルし、
(自粛ムードでもあったので)
社長から「みんな早めに上がって」とのことだったので、
定時より大幅に早く帰ることに!
家に着いても、
生きた心地はせず、
(家にテレビは置いてなかったので)
インターネットでずっと情報を探りながら、
何度も繋がらない電話をかけた…!
次の日の朝、
当然まともに眠れるわけもなく、
会社へ行くも、
大手通信系の孫請けぐらいの代理店やったから、
親会社からの自粛要請もあり、
オフィスで資料整理をするだけの状態になっとった!
そして昼になって、
やっと彼女と電話が繋がったんや!
「よかった…生きてたんやな」
おっちゃんは仕事中に泣いた!
どうやら同居しているご両親も無事なようやけど、
その時彼女が働いていた工場は、
閉鎖するしかないぐらいの被害を受けていて、
家も半壊し、
隙間をブルーシートで覆うような状態なんだそうな!
ご両親とは会うたことはなかったが、
無事で良かった!
でも電気もガスも水道も止まっていて、
電話もそう長くはできなさそうだったから、
「余震に気を付けて、また後でかける」と言って、
ひとまず電話を切った!
その日の夜も、
少しだけ電話したが、
彼女は「どうすればいいの…家も壊れ仕事もない、
うめ吉…迎えに来てよ…」
と訴え、
疲れと余震の恐怖で、
ひどく弱々しい声に聞こえた…!
地震の2日後、
おっちゃんは社長と相談した!
「彼女を、
仙台まで迎えにいこうと思います」
ほんまか?
どんな状況なんかもわからんし、
無事に行けんのか、
なんて話をしたんやけど、
公共交通機関はもちろん通っているはずもなく、
おっちゃんはその時は車も持っていなかったから、
社長の知り合いの車屋に1台借してもらえるようにきいてみてくれたんや!
なんとか、
2日後には借りられそうとのことやった!
危ない場所にいくかもしれんのに車を貸してくれるひとも、
知り合いにあたってみてくれた社長もええ人!
後で彼女に伝えると、
「本当に来るって言うなんて思わなかった」と言っとった!
そんなん、
迎えに来てって言われたら何とかして行くやん!
相変わらず余震は続いていて、
彼女は眠ねぬ日々を送っていたようや!
できれば一晩中電話で励ましてあげたいが、
なんとかお父様の車の中でだけ充電できて、
しかも向こうではガソリンは貴重やから長話はできず、
メールのやり取りに止めざるを得なかったんやな!
いよいよ出発の日になり、
ご両親にお渡しする物資を彼女にきいたら、
「カセットコンロのガスボンベ」が欲しいとのこと!
実は前の日にもお母さまとお話しし(話すのは初めてやったんやけど)、
「娘をよろしくお願いします」と言われた!
ご両親から離れて男の元で暮らすわけや、
そういうことやな!
危険を承知で迎えにいく覚悟だけでなく、
この2日の間に、
2人の命に責任を持つ覚悟もした!
そう、
彼女はバツイチで、
3歳になる子供がいたんや!
おっちゃんはパパになる決心もついとった!
早速出発し、
途中のホームセンターでガスボンベを5セットほど買ったが、
もう一つどうしても買っておきたいものは売っていなかった!
ガソリンを入れる携行缶や!
被災地近くではまず間違いなく給油はできないし、
できればご両親にもガソリンをお渡ししたい!
滋賀あたりまで行く途中でいくつかのホームセンターに寄るも、
ガソリン携行缶を含め、
被災地に必要そうなものは工場から被災地方面へ直送されとって、
こっちには入ってきていないということやった!
そこから先は、
ガソリンスタンドをあたって、
携行缶を探しながら向かう形になったんや!
そして調べたところ、
福島県を通る高速道路は全面封鎖されとったから、
日本海側を通って、
山形方面から宮城県に入るルートをとることに!
富山あたりのガソリンスタンドをいくつか回り、
ガソリン携行缶を5缶手に入れる事ができたから、
22リットル×5缶のガソリンを積み込み、
車にも満タンに入れて、
そのまま富山から高速道路に乗った!
新潟あたりですでにかなり暗くなっていたから、
途中のパーキングエリアで車中泊した!
「もうすぐ着くよ」とメールを送る!
「早く会いたい」と返事が来た!
普通であればウキウキなのかもしれないけれど、
そんな気持ちにはなれなかった!
事は重大だからや!
翌朝早くにパーキングエリアを発った!
気持ちとしては寝るどころではなかったが、
彼女と子供を乗せて大阪まで帰るんやから、
寝るのも責任を果たすために必要やった!
まだ3月、
高速道路を降り、
山道を行くと、
まだ道路には結構な雪もあった!
タイヤがノーマルのままだったことに気づき、
少しゆっくり行かないといかんから遅くなるとメールで伝えた!
すると、
彼女のご両親がわざわざ山形の蔵王まで、
彼女と子供を連れて行くとの連絡が!
仙台は本当に悲惨な状態のようで、
ご両親も気を遣ってくれたようだった!
なんか悪いなあと思いながらも、
「それではお願いします」と伝えた!
蔵王に着く頃には昼過ぎになっていて、
確か七ヶ宿(だったと思う)という道の駅で待ち合わせをすることに!
先に向こうが少し早く着いていたようで、
駐車場で、
彼女と子供とご両親と落ち合った!
ご両親とは初対面だが、
「お願いします」と言われ、
改めて事の重大さを再認識する!
ガスボンベとガソリン、
そして日持ちのしそうな食料をお渡しして、
少しだけお話しさせてもらった!
子供、
ご両親からすれば孫になるが、
しばらく会えないのは淋しいけれど、
余震に怯えて暮らすことを考えれば大阪の方が良いと言われとったな!
ご両親と握手をし、
彼女と子供はご両親と抱きしめ合って、
山形を後にした!
行きの高速はかなり飛ばしたが、
帰りは安全が一番やったから、
少しゆっくり目に帰る事にした!
そして無事、
大阪まで帰ってきたんやな!
正直、
ホッとしていたんか帰りの記憶はあまりないんや!
夜はワンルームに、
おっちゃんの布団と、
子供用の布団を敷いて寝た!
車中泊よりは少しマシやったけど、
もともと一人で住むだけやしこれぐらいでええかと思っていたからな!
大阪での家は、
3人で住むには狭かったけど、
場所的には大阪の海遊館の近くで、
そう遠くない場所にいくつか大きな公園もあったから、
遊ぶ場所にはあまり困らんかったかのう!
しばらく、
狭いワンルームに3人という生活になった!
大変ではあったけど、
楽しかったと思うわ!
その後は…!
まあ、
ええか!
完全に自分語りやし、
みんなそんなに興味ないやろ!
そんな感じで、
おっちゃんの人生にも3.11はけっこう大きな影響があったよーってのを、
自己満足で書きたかっただけや!
後日談は知りたいってコメントが多かったら、
書くかもね?
今回はここまでじゃ!
この記事をかいたおじさん
ヴォエの案内役VoeBotちゃん
個人ブログ