3日坊主で終わってしまったALISへの投稿をちょっとしたキッカケで再開した。
「人生は選択の連続である」とはよく言ったものだ。まさしくその通りである。
かの有名なAmazon創業者のジェフ・べゾフは語った。
ー「才能」と「選択」の違いについて。"賢さ"は「才能」であり、"優しさ"は「選択」であると。
「才能」を使うのは簡単だと言う。それは様々な機会で学ぶことができ、すでに与られてさえもいる。「才能」とは違い、「選択」はずっと難しい。これに気が付かないと「才能」に惑わされ、「選択」を誤らせる。ー
このメッセージを聴いた時、私は考えた。
"自分は賢い"という過信から、誤った「選択」を導いてしまうというのは理解できる。では、なぜ「選択」が"優しさ"なのか?
「選択」とは何かを決めることである。それは大なり小なり人生で幾度となく訪れる。今日の夕飯の献立から、入学、仕事、結婚といった人生の大きな分岐点まで。
何かを「選択」する上で相手がいる場合は、「選択」をすることが相手に対する"優しさ"なのかもしれない。「白黒ハッキリつけて、次に進めるようにする」みたいなことなのだろうか?
自分自身への「選択」も"優しさ"である。ビジネスマンのキャリアにおいて、転職する機会もあるだろう。それも自らの意志を持って「決め」、「次に進める」ということができたという点では、自分自身に対しての"優しさ"ではないだろうか?
要するに「選択」するとは、その地点に永遠に踏み留まって現状維持するということをさせない。その「選択」に関わる人たちや自分自身が変わること、前に進む、次に進めるようにする"優しさ"を提供する機会が「選択」なのだろう。
ふとそんな事を考えた今日であった。