耳が良いとか悪いとかって、あると思うんですよね。いろんな意味で。
通常、「耳が良い」と言ったら「よく聞こえる」、つまり、「小さな音でもちゃんと聞き取れる」という意味です。その逆が「耳が悪い」という表現になりますが、これは「耳が遠い」などと言ったりもします。
話は逸れますが、「耳が遠い」って面白い表現ですよね。決して耳の性能が悪いのではなくて、耳が遠いところにあるから聞き取れないのだ──という、なんだか漱石枕流な表現が絶妙です。
よく似た表現に「おしっこが近い/遠い」というのがありますが、こちらのほうは正確に言えば「おしっこが」近いのではなく「トイレが」近いのです。
まるで「トイレが近いから、よくおしっこに行くだけのことだ」みたいな、これまた負け惜しみめいた感じが私は好きです。
閑話休題。話がどんどん逸れてしまったので元に戻しましょう。
「耳が良い」はそれ以外にも「音感が良い」という意味で使うこともあります。この場合は音楽的な能力の問題ですね。
さて、私は別に他人より聴力に優れているわけでもなし、絶対音感があるわけでもないのですが、それでも自分では耳が良いと思っています。
それはもうひとつ別の意味での「耳が良い」で、アクセントの聞き分けや喋り方の特徴の掴み方の(自分で言うのもなんですが)精度が高いと思うのです。
昔から、ちょっと喋っただけで(相手が自分ではいくら標準語のつもりで喋っていても)、「関西ご出身の方ですか?」とか「ひょっとして四国出身?」などと言い当てて驚かれることが少なくありません。
誰でもそれくらいのことは聞き分けられるものだとずっと思っていたのですが、ある時どうやらそうではないらしいということに気づいて非常に驚いた記憶があります。
耳が悪い人としゃべっていると、時々「困ったなあ」と思うことがあるのです。
例えば私は自分のブログに映画評を書いています。そして、関西出身の私が映画を観ていて気持ち悪く感じるのが、関西出身でない役者の使う変な関西弁です。
2時間の映画を1本見れば、関西弁の台詞のある、ある程度以上の大きな役をもらっている俳優であれば、ま、百発百中とまでは申しませんが、9割以上は関西出身者かそうでないかを言い当てることができます。
どうだ、すごいだろ?と言いたいのではありません。違いが聞き分けられてしまうから気持ちが悪いのです。
で、「この役者の関西弁が気持ち悪かった」みたいなことをブログに書くと、知ってる人からも知らない人からも、「私も関西出身ですけど、ちっとも気になりませんでしたよ」などと言われることがあるのです。
困ったなあ。どう答えれば良いのでしょう? あなたにはこの違いが、本当に微妙だけれど決定的なこの違いが聞き取れないのですね? 困ったなあ。どう返しましょう?
で、そんなことを考えていて、えらいことに気づいてしまいました。ホントにふと思ったのですが、それはきっと音楽的に「耳が良い」人たちも似たようなことを感じているのだろうということです。
上にも書いたように、私は音楽的な意味では決して耳が良いわけではありません。
なのに Web 上で時々迂闊にも偉そうに音楽を語っていたりします。多分、音楽的に耳の良い人たちは「困ったなあ」と思っているんでしょうね。
耳の痛い話です。耳が良いのも悪いのも困ったことだと思います。