丁寧語のひとつに接頭語「御」があります。尊敬語や謙譲語としても使われるとても便利な接頭語なのですが、この漢字は「お」と読むべきか「ご」と読むべきか、時々悩むことがあります。
つまり、「お前」(おまえ)か「御前(ごぜん)」か、「お骨折り」か「ご苦労」か、「お気がね」か「ご心配」か、「お詫び」か「御免(ごめん)」か、みたいなことです。
で、これはよく言われるようにやまと言葉の前に付く場合は「お」、漢語の前に付く場合は「ご」というふうに整理されます。もう一度上の例を確認していただくとよく分かると思います。
ま、「お」は訓読み、「ご」は音読みですから、それぞれやまと言葉と漢語に相性が良いのも当たり前かもしれません。
このような言葉のルールを文法などと言ったりしますが、ルールには例外がつきもので、それが文法ともなるとたくさん例外がある、と言うか、却々一筋縄では行きません。
やまと言葉に付くのに「ご」であったり、漢語に付いているのに「お」であったりするケースが決して少なくないのです。
辞書を引くと、「漢語意識の薄れた語」では「お+漢語」になる、などと書かれています。「漢語意識」って何だ?と思いながら先を読むと、例が挙げられていました。
お札(おさつ)、お産、お酌、お茶、お得、お椀、など
うむ、漢字1字の漢語ですね。確かに1字だけだと漢語とか和語だとかいう意識は薄れてしまいがちですね。「札(さつ)」や「茶」って漢語だったのか!という気もします。
もちろん漢字2字の熟語にも「ご」ではなく「お」が付く例もたくさんあって、同じ辞書では、
お行儀、お稽古、お正月、お食事、お弁当、お餞別
などの例が挙がっています。それはそれで解るのですが、では、これらの熟語はどうして「漢語意識が薄れている」と言えるのでしょうか? そこが今イチ分かりません。
それで、自分なりに「お」が付く漢語の例を集めてみました。
料理、食事、惣菜、掃除、洗濯、化粧、洒落、名刺、邪魔、節介、財布、勘定、便所、中元、歳暮、年賀、知恵、勉強
どうです? なんか、日常生活に関する単語が多いと思いませんか? 衣食住に関するものが大半で、それ以外では中元、歳暮、年賀などの季節の儀礼や挨拶みたいなものが入っています。
「邪魔」という語は少し色合いが違うように思うかもしれませんが、「お邪魔」と言った場合は「妨害」の意ではなく、他人の家に上がり込むことで、今はそういう機会は減ってきたかもしれませんが、これは非常に日常的な言葉でした。
同じように今では減ってきたのでしょうが、昔は町内に必ずお節介なおばさんがいて、日常的に(余計な)お節介を焼いてくれたもんです。
私が探してきた「お」の付く漢語に、先に挙げた辞書から拾ってきた例を加えてみると、見事に身の周りのことばかりです。──料理作って飯食って掃除して身なりを整えてお金払ってクソして勉強して寝る、みたいな感じです。
つまり、辞書が「漢語意識が薄れている」としたのは、身の周りに普及した言葉ということなのでしょうか?
一方で「ご+和語」というケースも、数は多くないですがあるわけで、同じ辞書に載っていた例をここに引くと、
ごもっとも、ごゆっくり、ごゆるり
など、「多少あらたまった感じの語」であると書いてあります。確かにこれらは相手を立てて厚意を示す表現です。日常生活からは少し抜け出た感じもします。
日常的な「お」があらたまった「ご」に変わるわけです。
そう言えば、そもそもやまと言葉は日常的な感じがしますし、漢語にはあらたまった響きがあります。だから日常的なやまと言葉には日常的な「お」が付いて、あらたまった漢語にはあらたまった「ご」が付く──と、ここで原則に戻ってくるわけです。
例外はあっても、こういう風になんとなく筋の通った感じのルールこそが文法と呼べるんでしょうね。
では、外来語には「お」が付くのか「ご」が付くのか? ──横文字の外来語には一般的には「お」も「ご」も付きません。ただし、これにもいくつか例外があります。
「おビール」、「おソース」、「おズボン」、「おトイレ」ぐらいですかね? (「おタバコ」もそうかもしれませんが、「タバコ」には「煙草」という漢字が当てられているくらいで、すでに全然外来語である気がしません)。
ま、いずれも相当日常的な存在と言えます。同時に女性言葉であるとも言えるでしょう。
しかし、最近「おビール」とか「おソース」みたいなお上品な言葉遣いの女性を見かけなくなりました。もっとも、それは女性らしさや上品さの喪失ではなく、単に丁寧語の衰退だろうとは思いますが。
『おそ松くん』のイヤミ氏は「おフランス」などと言っていました。この絶妙にスノッブな感じは「お」+外来語でしか表せないような気もします。
むやみに「お」をつけるのも問題ですが、「お」がどんどん廃れて行くのも多少淋しい気もします。