他人の言葉遣いの誤りばかり指摘していると嫌われるということはよーく分かってはいるのですが、しかし、人間長いこと生きていると、今まで自分が聞き慣れ、使い慣れてきたのと違う意味で言葉が使われているのを見たり聞いたりすると、気持ち悪くて仕方がないのです。
最近気になるのは「課金する」。──「このサブスクのサイトに1000円課金する」って、それは逆でしょう?
課税するのは国税庁や都道府県であって、あなたは課税されるほうでしょうが。同じように、課金するのはサイトのほうで、あなたは課金される側でしょうが。
とは言っても「このサブスクのサイトに1000円課金される」ではおかしいから、どうしても自分を主語にして語りたいのであれば「1000円出費する」とか、あるいは、もう「1000円払う」とか「1000円使う」とかで良いじゃないですか。
それからもうひとつ気持ちが悪いのは、これはもともと京都方面の方言なのですが、「はんなりとした」。
これを「物腰が柔らかい」みたいな意味で使っていませんか? 「まったりした」みたいな意味だと思っていませんか? それって単に語感に引っ張られてるんですよ。
「はんなり」の語源は「華なり」です。つまり、「華やか」というのが基本的な意味なんです。
ニュアンスとしては、これは上品な派手さを表す言葉です。明るくて派手なんだけれど、決して下品にはなっていない──そういう様子を表す褒め言葉なんです。
京都の舞妓さんのゆっくりした喋り方を聞いたりして、それが「はんなり」だと思っている人がいたら、それは間違いです。
ま、他にもたくさんあるんですが、たくさん書いても嫌われるだけなので、今回はこの2つに留めておきます。
「課金する」と聞いてはカチンと来て、「はんなりした」と聞いてげんなりしている私でした。