その中において、宇宙が陰陽である、陰の要素、陽の要素と分かれているように、その陰を代表するものが母親であり、陽を代表するものが父親でございます。夫であり妻であるのです。
その、本来が夫と妻の、深い深い結びつきの愛の中により、子どもたちは生まれて来るのです。
ですから、よく里子に出された子どもたちが尋ねることがあります。
「自分のルーツを知りたい」。その次に出てくる言葉は、
誕生してきたときに、そうだよ。あなたたちは確かにお父さんとお母さんの間に、愛し合って望まれて、あなた方はここに生まれたのだよということを、やはり子どもたちは聞きたいのです。
それは何かと申しますと、
子どもさえいればいいという母親たち、父親たちがいるかもしれない。
子どもを産むために、自分の遺伝子を残すためだけに、家庭というものをとらえている方たちがいるかもしれない。
そんなものではないのです。家庭の基本は男女の愛にあるのです。夫婦の愛にあるのです。
それが宇宙自体を創造しているエネルギーなのです。
子どもに執拗に執着するがあまり、その大事な基本をおろそかにしているのが現代の夫婦ではないでしょうか。
男性霊、女性霊というものが、ともに協力し、愛し合い、そこの中でほんとうの愛ある磁場を、空間をつくれてこそ、そこに信頼し、そこを頼みとし、そこに降り立ってくるのが、子どもたちという神の子たちであるのです。
その魂を、霊を一時お預かりし、その子どもたちの天命を、その個性をそのままに受け入れ育み、そして、羽ばたかせ飛び立たせてあげる。
それは自然の鳥たちだって当たり前にやっていることではありませんか。
でも、人間だけは違うのです。成人になっても、いい年をして三十、四十の男になっても、母親たちがしがみついている例がよくあるのです。
そして嫁など来なくてもいい。嫁が来ても嫁いびりが始まります。
それは母親たちが子離れをしていない。子どもから自立をしていない。
そして、もっと最悪な場合は、そのように脆弱に育てられた息子たち自体が、母親を捨て切れない。自立し切れない。だから自立した中において、妻を守れず、子どもというものを守れず、それを家のなすがままに、親のなすがままの中で、自分自体が家庭をつくる家長として、男として自立できないという不幸な原理まで生んでいるのです。
その時に男たちは、男性たちはしっかりと自立せねばなりません。親の元で育み育てられたのなら、自分がどういう魂であり、何を天職とし、社会に向かって、進歩調和のため、進歩発展の中で自分がなしていくのか、そして愛する、何を守るべきものが自分の本来であるのかといういこと、しっかり考えていっていただきたいと思うのです。
子どもたちのことにあまりに無関心になっていませんかということを、また私も問いかけたいのです。
確かに、家庭というものは、妻たちだけがやるのではなりません。
そうすると、やはり焼き切れてしまって、相談にも乗ってくれない夫であると、子どものことで一人でノイローゼになっていく場合もあるのです。
ですから、自分が本来愛さねばいけないもの、守らなくてはいけないもの、守るものあってこそ男性というものはまた光輝くんだということも言われているはずなのです。
日向(卑弥呼)「日本神道の女性霊1」より