1854年、サンフランシスコのとある新聞の編集室。そこへ、その名をジョシュア・エイブラハム・ノートンという軍服に身を包んだ謎の男が突如として出現。こう宣言した。
「合衆国国民の要望により、余はアメリカ合衆国の皇帝に就く」
完全にタダの基*外であり通報案件で終わるかと思いきや、数年後に地元紙が「ノートン皇帝」の宣言を1面掲載。これがバズりにバズった。サンフランシスコ市民は「皇帝」を圧倒的に歓迎・・・っっ❗新聞は談話を毎日のように掲載・・・っっ❗しかもその談話というか「勅令」が、市の政策として採用されたというからまったく驚きである。あのエイブラハム・リンカーンの2年も前に奴隷解放を提唱。女性参政権という当時としては進歩的な提案も(ちなみに、スイスにおいて連邦レベルで女性の参政権が初めて認められたのは1971年のこと)。
彼は毎日ニートとして自堕落な生活を、いや、「皇帝」の臣民の生活状況を視察して過ごしていた。生活費はどうしたかって❓驚くなかれ、なんと「国債」を発行していたのである。民間会社によるICOどころの話ではない。何処の馬の骨ともわからぬ(失敬)個人による「国債」の発行である。さらにウェルズ・ファーゴ銀行はその「国債」を額面価格で買い取り、町人は「税金」まで納めていた。
「ノートン皇帝」が崩御(demise)された時、葬儀には万単位の人間が列席。死亡記事はなんと『NYタイムズ』にも掲載されたという・・・。
ノートンは実は不動産投資で一時億り人(サンフランシスコ有数の富豪であったというから、もっとすごいかも)になったものの、調子に乗って(かどうかはわからないが)さらに投機にのめり込み、相場の大暴落に巻き込まれ丸焼けになった。行方をくらましていたところ、冒頭の基地*行為につながっていくわけである。
以上は野口悠紀雄『ゴールドラッシュの「超」ビジネスモデル』とウィキペディアを参考に要約させていただきました。
この一連の史実(❗)を読むと、権力と支配の正当性というか、そのようなものに思いを巡らさないわけにはいかない。マックス・ウェーバーは(1)合法性、(2)伝統、(3)カリスマ性の3つに正当性を類型化したが、(そういったアンカーのようなものはあるにせよ)結局のところ、行使するものとそれを受け入れる者があって初めて権力は成り立つのだと再認識させられる。一瞬億ったとは言え、フツーの社会的価値感から言えばGOXしたノートンは負け組である。だが、それを新聞が一面トップに飾り市民が圧倒的に受け入れるところに皇帝権力は成立した。カエサルの再来を恐れるあまり、議院内閣制ではなく徹底した三権分立に基づく大統領制と、連邦制という分権的システムにこだわり抜いたあのアメリカにおいて皇帝が誕生したのである。
貨幣もまた同じようなものであろう。兌換券の場合は金の裏付けが、いわゆる法定通貨には国家の信用が、それぞれ価値のアンカーとして一応は考えられるものの、売り手がそれを価値あるものとして受け入れるから貨幣に価値があるのであり、政府が税金の支払手段として受け入れるから価値が生まれる。
ノートンは「国債」も発行していたのである。税金も国債も貨幣発行益(の一部)も、政府財源であることには変わりがない。
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