【俳句】:マシュマロも 千回投げる 鬼退治
【仮名】:マシュマロも せんかいなげる おにたいじ
【英訳】:Throw marshmallows Thousand times To your shadow
【季語】:春
【解説】:鬼退治は、春の季語です。人間世界の常識を超えた力を、鬼神(きしん)と呼びます。現代日本語では、例えば、料理がすごく上手な人を、「料理の神」と呼んだり、絵に徹底してこだわる人を、「絵の鬼」と呼んだりします。
古典世界では、古今和歌集の仮名序(かなじょ)に、鬼神という言葉は登場しています。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり------古今和歌集 仮名序
鬼神は、動物や植物やウイルスなどではなく、私たちの心の常識から生まれてきます。日々を過ごしながら、私たちは少しずつ知識経験を得ていきます。すると知識経験を材料として「世の中はきっとこうだろう」という常識が生まれてきます。世界観と呼んでもいいでしょう。このような常識・世界観の範囲を超える非常識に出会うと、混乱が生まれます。その混乱に、再び秩序を回復するために、鬼神が招かれます。鬼神は、常識と非常識の境地に立ち現れます。人生経験のあまりない子供・若者は、鬼神に出会いやすい生物です。
ところで、人間の知識の在り方を知ろうとすること(常識と非常識の境地について愛知すること)を、哲学では認識論と呼びます。英語ではThoery Of Knowledgeと呼び、ギリシア語ではEpistemeと呼び、以下のようにまとめられます。
日本:認識論
英語:Thoery of Knowledge セオリーオブノーレッジ
希臘:episteme エピステーメー
【参考 国名表記記号】
認識論では、誰が・いつ・どこで・どのように見るかによって、ものの現れが変化すると考えます。
角を生やし、虎柄のファッションに身を包み、金棒を素振りし、筋肉を見せびらかす赤鬼は、大人にとっては愉快な変質者です。子供にとっては恐怖の対象です。心に生まれた恐怖と戦うために、大人たちは子供に大豆を握らせ、鬼を攻撃せよと命令します。鬼を攻撃することで、恐怖に打ち勝ち、子供は勇気を得ます。
ですが、もっともっと心のやさしい子供にとっては、鬼はどのように見えているのでしょうか。鬼は、みんなから一方的に豆を投げられて、かわいそうだ。鬼が悪物だと理性では分かるけれど、やっぱりかわいそうだという気持ちは消えない。大豆は硬めだから、鬼は痛いのではないだろうか。怪我をしてしまうかもしれない。鬼を撃退するだけなら、マシュマロではいけないのだろうか。せめて柔らかいマシュマロでも投げてあげよう。マシュマロでも千回投げておけばひどい目に遭わずに逃げてくれるだろうか。大豆をマシュマロに変えてあげる気持ちには、慈悲(じひ)という名前がついています。
無邪気に大豆を投げる視点を、慈悲深くマシュマロを投げる視点に転換する。このような句作の技術を「視点の転換」と呼びます。
非常識な鬼さんとの不思議な心の交流が、鬼退治です。