比叡山延暦寺の横川地区(よかわ地区)の南東のふもとちかくにある、飯室谷(いいむろだに)の地区には、「飯櫃童子霊石」(ぼんきどうじ霊石)と呼ばれる岩があります。
飯室谷(いいむろだに)という名称は、飯櫃童子(ぼんきどうじ)が仙人の姿になって、慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)に食事を提供したという伝説に由来します。
飯室谷は、比叡山延暦寺の回峰行(回峯行)の3つの流派のうちの、恵光坊流の回峰行の本拠地でもあります。
ちなみに、比叡山延暦寺の回峰行(回峯行)の3つの流派というのは、つぎの3つの流派です。
・横川地区のなかの飯室谷地区の恵光坊流。
・東塔地区のなかの無動寺谷地区の玉泉坊流。
・西塔地区のなかの北谷地区にある瑠璃堂の北側にある正教坊の正教坊流(現在は廃絶しています)。
飯櫃童子(ぼんきどうじ)は、弁財天十六童子の一人です。下記の弁財天十六童子の絵図のなかの、右側のページのなかの右上のところに、飯櫃童子の絵図があります。
■画像の出典
飯櫃童子(十六童子)の絵図
仏像図彙. 三 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3442143/11
仏像図彙 三|書誌詳細|国立国会図書館オンライン
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000003-I3442143-00
仏像図彙 三
図書
土佐秀信 画
武田伝右衛門
明治33年(1900年)
飯室谷には、天台修験の有名な修験者(密教行者)である、箱崎文応(はこざきぶんおう)大阿闍梨の石碑や石像があります。
飯室谷には、魔王堂という、なんとも、中二心をくすぐる名称のお堂があります。ここで言う「魔王」というのは、おそらく、天狗のことだろうとおもいます。これは、鞍馬寺に祀られている「魔王尊」が、天狗の姿をしているのとおなじようなことではないかとおもいます。
飯櫃童子霊石(ぼんぎどうじ・れいせき)
飯室谷の地区の南の端には、慈忍和尚廟(じにんかしょうびょう)という御廟があります。慈忍和尚(じにんかしょう)というのは、平安時代中期に天台座主(てんだいざす)を務めた人です。天台座主というのは、比叡山延暦寺の代表者である、最高位の僧職のことです。また、慈忍和尚(じにんかしょう)という名称は、死後に贈られた諡(おくりな)であり、慈忍和尚は、生前は尋禅(じんぜん)という名前で呼ばれていました。また、慈忍和尚(尋禅)は、当時の有力貴族であった藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の息子でもあります。
ちなみに、その慈忍和尚(尋禅)の御廟である慈忍和尚廟(じにんかしょうびょう)は、下記の比叡山三大魔所のひとつでもあります。(また、この3箇所に、「狩籠岳」(かりごめのおか)を加えて、比叡山四大魔所と呼ばれることもあります。)
・元三大師廟(がんざんだいしびょう)(慈恵大師廟(じえだいしびょう)):横川地区の北端。
・慈忍和尚廟(じにんかしょうびょう):飯室谷地区の南端。
・天梯権現祠(てんだいごんげんのほこら):東塔地区のなかの東谷地区にある法然堂や聖尊院堂の北東の小さい峰(小さい丘)の上。
・狩籠岳(かりごめのおか):西塔地区の北北東。奥比叡ドライブウェイ沿い(南側)の平地。
比叡山延暦寺と酒天童子(酒呑童子)の伝説とのつながりについての一連の記事は、この下のリンクからご覧いただけます。
https://wisdommingle.com/tag/%e5%bb%b6%e6%9a%a6%e5%af%ba/
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」