最近、図書館で借りた本のみなさまをご紹介したいとおもいます。
下記がそれらの本のリストです。
『祈雨・宝珠・龍:中世真言密教の深層』
『社寺境内図資料集成 2 (国立歴史民俗博物館資料調査報告書)』
『密教の象徴世界』
『近畿霊山と修験道(山岳宗教史研究叢書 11)』
『比叡山』梶原学
『新編日本古典文学全集 55』(『太平記』巻第十二~二十)
いまの気分は、「図書館様さまサマー2019!」といったかんじです!
(o≧ω≦)O
『祈雨・宝珠・龍:中世真言密教の深層』
スティーブン・トレンソン
(第一部の第五章の「良真」さんと、第6章の「水天供」が、とくにありがたし!
さらに、第二部の第一章の「五龍祭」も、とくにありがたし!!
序文はなんと、山極寿一さん!!!)
『社寺境内図資料集成 2 (国立歴史民俗博物館資料調査報告書:情報資料研究部 12)』
国立歴史民俗博物館
(どのページを開いても、寺社の興味深い古図や古地図ばかりで、ありがたし!)
『密教の象徴世界』
八田幸雄
(第一章の「竜蛇信仰」が、とくにありがたし!
さらに、第十五章の「天部諸尊」も、とくにありがたし!)
『近畿霊山と修験道(山岳宗教史研究叢書 11)』
五来重(編者)
(第一篇の比叡山、伊吹山、比良山が、とくにありがたし!
それと、第二篇の熊野も、とくにありがたし!
さらに、第四篇の近江と近畿の山岳信仰も、とくにありがたし!)
『比叡山』
梶原学(梶原學)(写真:菊池東太)
(全体的に、まんべんなくありがたし!)
『新編日本古典文学全集 55』(『太平記』巻第十二~巻第二十)
長谷川端(校注・訳)
(興味をひかれるところがいろいろと多すぎて、ありがたし!)
以上が、最近、図書館で借りた本のみなさまでした。
最後に、再度まとめると、つぎのとおりです。
『祈雨・宝珠・龍:中世真言密教の深層』スティーブン・トレンソン
『社寺境内図資料集成 2 (国立歴史民俗博物館資料調査報告書:情報資料研究部 12)』国立歴史民俗博物館
『密教の象徴世界』八田幸雄
『近畿霊山と修験道(山岳宗教史研究叢書 11)』五来重(編者)
『比叡山』梶原学(梶原學)(写真:菊池東太)
『新編日本古典文学全集 55』(『太平記』巻第十二~巻第二十)長谷川端(校注・訳)
読書とは他人の経験を正々堂々と盗む、ということである。読書家とは、経験の大盗人のことである。そして人間は、他人の経験を貪欲に盗むことによって成長する。
(出典:加藤秀俊 (1978年) 「読書について」, 『独学のすすめ』, 文春文庫189-1, 文藝春秋, 51ページより.)
人間の歴史をふりかえってみるならば、ついこのあいだまで、知識というものは、かぎられた数の人びとのあいだで共有されていたにすぎないのだ。ふつうの民衆が、他人の経験、とりわけ高度の知識を盗むことは、ほとんど不可能だった、といってもさしつかえない。そして、そういう歴史的背景のうえで考えてみるならば、本を読むということがいかに大きな革命であったかに気がつくのである。それは、経験を盗む、というふしぎな行動の「自由化」ということである。独占されていたものの「解放」ということである。
いうまでもないことだが英語では、著作を「出版」することを publish といい、「出版物」のことを publication という。文字をみれば、すぐにわかることだが、これらは、ともに public という形容詞と同一の語源から出ている。パブリックとは、公共ということである。みんなでわかちあう、ということである。したがって、「出版」というのは、個々の私人がその経験を公にする、ということになるだろう。個人的な経験は publication になることによって、万人共通のもの、あるいは、誰でも自由に盗むことのできるものになったのだ。
本屋さんの店頭にならんでいるおびただしい数の書物は、われわれにむかって、どうぞわたしたちの経験を盗んでくださいな、と呼びかけているのである。われわれは、そのどれをどんなふうに盗んでもかまわない。さまざまな人のさまざまな経験は現代の社会では、すべての人びとのまえに公開されているのである。
(出典:加藤秀俊 (1978年) 「読書について」, 『独学のすすめ』, 文春文庫189-1, 文藝春秋, 52~53ページより.)