逆に言えば「これまでの時代は、供給側が主役であった」という話になります。
これまでの時代とは「生活に必要なものがない、または足りない時代」です。
というわけで、これからの時代とは「生活に必要なものがほぼ満たされた時代」を指します。
この時代をより具体的に言えば「ポストコロナ時代」「Web3の時代」などと、言い換えることもできるでしょう。
これからの客側(需要側、受動側)に必須の能力とは、以下の三点です。
「選択・使用・評価(選ぶ・使う・評価する)」
これまでの時代の客側のスキルは、真ん中の「使用」だけで良かったのですが。
何故なら、ものが足りない状態であれば、お客さんの手元に「ある」か「ない」かという状態でかつ、あらゆるものがまだまだ高価であるが故に、ほぼ満たされた今の時代ほど「選択」することができなかったからです。
ここで代表的な家電であるテレビを例に挙げてみましょう。
テレビ(テレビ受像機)は、1926年に高柳健次郎が世界で初めて電子式テレビ受像機を開発したのが始まりです。
その後1950年代後半から1960年代初めまでに、白黒テレビは「電化製品の三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)」の一つに数えられるようになりました。
さらにその後の1960年代後半には、カラー放送が大幅に増えたことによって普及が進み、カラーテレビはクーラーや自動車などとともに「耐久消費財の新・三種の神器(3C)」の一つに数えられるようになりました。
その後のテレビは性能が上がり価格は下がり、生産する企業や大きさなど選択の余地も増え、誰もが買える状態になって一家に一台以上は当たり前となるわけですが。
1950年代の時点では非常に高価なもので、それを買うことのできるお金持ちの人達だけが、家にテレビが「ある」状態にすることができたわけです。
ところが近年はインターネットが普及し、主な機器もPCからスマホにも変わり、特に若い人達の中にお家にテレビがないという人も出てきました。
これは「テレビ受像機の選択ではなく、テレビ視聴自体を選択しない(で、インターネットを選択する)」という人もいるという状態です。
つまりこれは「選択」の範囲がさらに拡大している状態であり、以前よりも「選択」が重要になったとも言えます。
そしてこのことは同時に「使用」してみての「評価」の範囲も拡大し、より重要になったとも言えます。
何故なら、選択の余地がない「ある」か「ない」かの状態であれば、あれば「使用」することができるという話で終わり、せいぜいが「楽しめたか、あるいは(支払ったお金ほどは)楽しめなかったか」程度の評価しか必要がありません。
つまり「選択肢が増えた」からこそ、その選択をして「使った結果どうなったのか?」という「評価はより重要」になる、ということになるわけです。
(逆に「この商品は良い」と高く「評価」したことで「選択」する場合もあり、両者は密接な関係にあります)
そうそう、もう一つ「使用」の能力もより重要になっています。
先ほどのテレビの話で言えば、例えば白黒テレビの時代には「テレビを買って電源を入れて視聴する、チャンネルを切り替えて好みに近い番組に変える」ぐらいの使い方しかありません。
ところが時代を経て衛星放送やケーブルテレビどころか、インターネットにも繋いでYoutubeやNetflixまで視聴できる、となったらどうでしょうか。
切り替えて視聴することのできる番組は無限大です。
そこから自分の好みだとかあるいは勉強になる内容だとか、その時の自分に最も合ったものを「選択」して視聴し、そしてその結果として楽しく幸せな時間を過ごすか自らの能力を上げるか、ということになります。
が、この時、取得できる情報はその人の(受動する)能力によります。
同じ番組を視聴しても、ただ眺めるだけでなく様々なことに気付いたり深く考えたりできる人の方が、より多くより良い情報を得ることができますよね。
この「より多くより良い情報を得る」のが、テレビを「使用」する能力です。
つまり「テレビを上手く使う能力(=テレビを上手く使って、楽しい幸せな時間を過ごすか自分の能力を高めるか、などの良い結果を得ることができる能力)」が、より重要となる、ということです。
最後に、人生の目的について触れておきましょう。
「人生の目的とは何か?」と言えば、それは「幸せに生きること」です。
「その時に幸せな時間を過ごす」のも、もちろん幸せな時間の使い方です。
「その時は勉強に使い、少し先の未来をより幸せにする」のも、一生を通じて考えると幸せな時間の使い方であると言えます。
自らの人生をより幸せにする、選択。
昔になればなるほど、その選択をするということができず、その選択をする場合には多額のお金が必要でした。
お金を持っていたら、自らを幸せにすることのできる人生の選択肢が増えます。
それ故に、これまで「お金を持っている」ことが高く評価される時代が、長く続いていたのです。
日本では、その「お金を持っている」ということは「皆のためになる仕事を一所懸命にやった人」の証しであり、それ故「働く人の評価が非常に高かった」わけです。
ところが今、我々の目の前には人生を幸せにするための選択肢がたくさんあり、無料または激安価格でその選択をすることができる状況となりました。
既に自らを幸せにするための最も大きな問題はお金の有無ではなく、その人の選択する能力の有無となっているのです。
何故なら、その人が自らを知り尽くし自らの才能を十二分に発揮する選択ができるのであれば、それによってお金を稼ぐこともできるからです。
その選択をする際に重要なのが、既にその選択をした人の出した「評価」となるわけですけれども。
この「評価」をした人がどういう人であり、どういう状況でどういう使い方をしたのか、などで話は変わってくるわけです。
極端な例を一つ挙げると、お金が目的で嘘の評価をしている場合もあります(アマゾンのレビューとか)。
これからは正しい評価を正しくできる人も、高く評価されるようになっていくでしょう。
正しい評価とは、今回の例だけでなく無名の新人の芸術作品などにも該当します。
これも作品を生み出した能動的な作家さんの能力に対して、それを評価するお客さん側の受動的な能力と言えます。
もちろん、この評価する能力を上手く「使う」と、お金を稼ぐこともできます(いずれ高く評価される新人さんの作品を、その前に買うことができますので)。
故に、これからの時代は「客側(需要側、受動側)」が主役であり、客側の能力「選択・使用・評価(選ぶ・使う・評価する)」が必須となるわけです。
この客側の能力を高めるためには、選択の範囲が広がったことを考慮し「他者の選択に対する寛容さ」を意識することで、より柔軟な考えができるようになることが最適ではないかと私は考えています。