いや、そんぐらい知ってるっちゅーねん……て、ここにおられる皆さんからは言われそうですけども。
そう思って今まで書いていませんでしたが、一応。
ちなみに日本よりもディベートが遥かに盛んなアメリカでも、以前は「論破が主目的」でした。
私が学生の頃「アメリカは訴訟大国だからねー、だからディベートが盛んなんだよー」って先生に習った記憶がうっすらとあります。
現在の主目的は「自分以外の立場で物事を考えるのを容易にする」ことですね。
ディベートを何度も繰り返していくと、それが身についていくというわけです。
この教育は大事ですよ?!
何故なら今は「多様化」の時代ですから。
日本の従来の教育では未だに十分に対応できておらず……いや、十分どころの話ではなく、全然対応できていないのでは?……と言っても過言ではないでしょう。
ここに対応できていないからこそ、今現在の日本人は「大量のモテない男性とお節介おばちゃん」を生んでいるのですから。
何故、大量のモテない男性が発生するのか?
それは「自分が相手の立場に立って、思い遣りを持って~以下略~」という教育が、主に女児向けとされているからです。
もちろん今となっては、男性でもこの教育を受けている人は多いでしょうけども。
昔になればなるほどかつド田舎にいけばいくほど、これを受けていない男性は多くなるのではないかと思います。
(私の子供の頃に住んでいたド田舎はもちろん該当しまくりです)
そしてモテない男性ほどではないけど、そこそこいっぱいおるお節介おばちゃんについても同じことが言えます。
先ほどの「自分が相手の立場に立って、思い遣りを持って~以下略~」という教えは、たった一人の「自分」という人の場合でしか考えることできませんので。
つまりお節介おばちゃんは「自分だったらこうしてくれると嬉しい」という基準のみで、他人を思い遣って行動している、というわけです。
(「自分(という一人の人間)が相手の立場に立つ」ところまでは良いのですが、そこから「自分以外の他者」の場合を考えるところには至っていないのです)
実は昔であればあるほど、これでも十分な状態でした。
例えば男性で江戸時代に最も人口の多かった農民の場合を考えてみると、彼らの作業の相手は「人」ではなく「自然」です。
(このパターンで「自然」ではなく相手は「機械(PC)」で、作業に応じて多額のお金がもらえる職業は今でもありますけど、非常に少なくなってきています。例えばプログラマーとか)
あるいは女性の場合でも、生活に必要な物やサービスが不足している時代になればなるほど「それらを満たして欲しい」という全体的なニーズがありますから、お節介にならない場合も多くなります。
というわけで、これからの多様化した時代にはどうするのか?
その一、自分以外の立場に立つ。
その二、その立場でのメリットとデメリットをできるだけ挙げる。
その三、それらのメリットをより強く感じて採用する人とデメリットによって拒否する人を考える(どういう人がメリットを強く感じるかなど)。
上記のうち、その三で「どういう人がメリットを強く感じるか」というのを「どういう人がメリットを強く感じて、この商品を買ってくれる(客になる)のか?」というところまで考えられるようになったら、売れる商品が生産できるようになるよね、て話になります。
逆に言えば、これができるとお金が稼げる人が増えてGDPは上がりますし、それで結婚に至る夫婦も増えますから少子化も防げますので、早いとこディベートばんばんな教育をやりゃー良いのになーと個人的には思っています。
(別にディベートに限らず、このような教育があれば良いのですけども)