「労働者の束縛」と「お金の束縛」のどっちがよりきついのか?
私は「労働者の束縛」でしたが、日本全体でもそうだろうなと思っていました。
ですが「そうとも言えないのではないか?」と思うようになりました。
そのきっかけは以下の記事でKTAG様に頂いたコメントでした。
私はこれまで、最も日本人を苦しめて貧乏にしているのは「労働者の束縛」だと考えていました。
KTAG様に頂いたコメントは「お金の束縛」の方が大きいのでは、つまり「貧すれば鈍する」状態に陥ったことが最も大きな原因では、とのご指摘でした。
それに対しての私の返信コメントを抜粋します。
~~ご意見を拝読し、私は今まで考え違いをしていたかもしれないと思いなおしました。
というのも、私は日本が貧しくなったのを「労働者の(価値観の)束縛」が一番大きな理由だと今まで考えていたのです。
というのは私自身、ご指摘の「お金の束縛」がなくなった今でも、労働者の束縛に悩むことがあるからです。
しかし振り返って思うのは、かつて私は仕事ができなくて貧乏な状態にあってもお金の束縛はそれほど強くはなく、思考することは可能でしたが、それは「(私個人ではなく)世代的に裕福」だったからではないかと。
私は両親との仲が悪かったので、親に頼るという選択肢はないも同然だったのですが、選択肢があるけど使わないのと選択肢がないのとでは、心の余裕に違いがあるではないかと~~
上記リンク先の記事でも触れた話ですが、日本が貧しくなった理由をまとめると以下のようになります。
1,内需かつ労働収入の限界(人口と使用言語)
2,投資のできない人が多い(否定的な人も)
3,消費している人に否定的(貶す、妬むなど)
私の親は所謂「団塊の世代」であり、上記1番の内需が大きく労働収入も大きい時代にいたわけで、それ故に2番3番ができなくとも真面目に働きさえすれば、そこそこのお金持ちになることが可能でした。
私はその子供である「団塊ジュニア」と呼ばれる世代ですが、労働者としての能力が著しく低かったため、あっという間に貧乏になりましたが。
自らの労働能力が低いことにはかなり早い段階で気付いたため、その時点で「自分の能力ではなく、他人の能力に賭ける投資」というものに着手することができました。
というわけで、この「労働者の束縛」は世代による強さで言えば、年齢の高い世代でより大きく、逆に「お金の束縛」は年齢の低い若い世代でより大きいということが考えられます。
また、この話以外にも全般的に当てはまることとしては、個人差というものもあります。
私で言えば「普通の人と比べて労働者としてのスキルが著しく低い」というのが個人差ですね。泣。
そういえば「お金の束縛」から完全に開放されている天才がいました。
ZOZOの創業者、前澤友作氏のツイートです。
前澤氏は「貯金をしたことがない」と仰っていましたが、その時に使ったものがチョコやレコードだったとのこと。
普通は一円も貯金がない状態が長く続くと、不安な気持ちになるもんです。
全然そのような状態にならないどころか「注目の的(となって楽しい)」って、すごい話ですね。
けど、そんなんこの方だけですよ多分。