※ネタバレができるだけないように書きます
『チ。―地球の運動について―』というマンガを拝読しています。
私はマンガワンで無料で読んでいますが、他にも無料で読めるところがあります。
ですが、久しぶりに紙媒体で持っておきたいと思う作品でした。
(しかし本で買おうとすると、夫が良い顔をしないんだよねー。
ま、片づけられない女だから、私の自業自得なんですけど。笑)
話を戻しまして、面白いですよこのマンガ。
何といっても、主役が人じゃないんですよ?!
主役は「地動説」です。
物語の舞台は中世のヨーロッパ的な架空の国で、これまたキリスト教的な架空の宗教によって「天動説が正しく、それ以外は異端とされて決して許されない」という状況で、地動説を唱える人々の話です。
主役の人物は割とあっさり亡くなりまして、すぐに次の人物が主役になって話が進んでいきます。
最初の少年が亡くなった時に驚きました。
そしてその次の人物に、地動説の考えと資料を託すという話ですけど、その時のやり取りで、マズローの欲求5段階説を思い出したわけです。
正確に言えば、マズローが晩年に唱えたという6段階目の「自己超越の欲求」です。
以下の画像をご覧ください。
で、どこで思い出したかと言いますとですね、その時の主役が「このこと(地動説の話)に携わった人だけが、死ぬ時に満足そうな表情をしていた」と思う場面でした。
そこで私は「自分は死ぬけど地動説を託すことができた→後に生きる人のためになることができた(ので6段階目かなと思った)」という話ですが。
このことを思いついた時に、かつて幼少時の弟が多分親戚のおっさんに、以下のようなことを言われていたことを思い出しました。
「男が泣いて良いのは、人生で三回だけだ。
生まれた時と母親が亡くなった時、自分が死ぬ時の三回だ」
ちなみに三回目の自分が死ぬときは何で泣くのかと言いますと「やり残したことがあるのにできない、その無念な思いで泣く」ということらしいです。
今、こんなことを言うと大問題になると思いますけど、その当時はそんなん当たり前な世の中でした。
また、この話は後に小学校の先生の話でも出てきましたので、こんなこと言うハタ迷惑なおっさんは結構どこにでもおったもんです。
(個人的には「男は度胸、女は愛嬌。女の子は黙ってニコニコしてたらえーの!」というハタ迷惑なおばはんもどこにでもおったし何とかして欲しいと思ったもんです)
というわけで、ここから結論ですが、私はこの三回目だけは「良いことだ」とか「かっちょええー」とか、ずーっと思って生きてきたわけですけれども。
このマンガのこの場面を見て「やっぱそれもあかんのちゃうんか?」と思ったわけですよ。
何故なら、この状態は「託すことのできる人がいない」ってことでしょ?
そして「やり残したことがあるのにできない、その無念な思いで泣く」のも、自分が能動的に何でもしなければならないという「プレイヤー至上主義」が、ここにも表れているのではないかとも、思いました。