今回の話は、以前に書いた以下の記事と結論は同じものです。
上記リンク先の記事では「マイナンバーカードとデータを使うのが下手だ」ということを書いていましたが。
今回、使うのが下手なのはそういう道具的なものだけではないなと、以下の記事を拝読して思いました。
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「日本語の要求水準が高すぎるので優秀な外国人が雇えない」という話でしたが、これは要するに「人を評価するのが下手⇒人を使うのも下手」なのではないかと思ったわけです。
いや、ちょっとぐらい訛りがあってもたどたどしかったとしても、ええやないかと。
大事なのは、その人の能力そのものではないですかと。
そして評価するのが下手だと優秀な人を雇えないだけでなく、既に働いている人に対しての評価も下手なわけですから、良い結果を出すことが難しくなります。
で、もっと幅広く考えてみますと、道具的なものや人以外にも評価するのが下手だと思われるものがあります。
それは「情報」です……って、あまりにも広すぎますけども。
(いや、むしろ「データ」の方が広いし被っとるやんと思うたけども)
先日、Amazonのとある書籍に対する評価を拝読し、驚きました。
要約すると以下のようなものだったからです。
「この本はとっても素晴らしいです。
本当に出会えて良かった、感動しました。
ただし誤字脱字が三か所もありましたので、星二つとします」
何で?
何でですか??
そんなに素晴らしい内容なら多少誤字脱字等があっても、そこまで低い評価にならないのではないでしょうか???
というわけで、評価については「むしろ評価する人にその能力がない」という場合があり、利用する場合はそういうことも考慮する必要がありますね。
そこで思い出したのが江戸時代の思想家、安藤昌益という人物です。
現在では教科書にも載っているほどの偉人ですが、明治時代になって狩野亨吉に見出されるまでは思想家としては無名のままで、その生涯を終えました(存命中は医師として活躍)。
その安藤昌益が長い間見出されなかった大きな理由が、狩野亨吉曰く「悪文(下手で読みにくい文章)」だったからです。
悪文で書かれている良い(考えが記された)本もある、そのことを明治時代に狩野亨吉が教えてくれていたわけですけれども。
なのに何故か、我々日本人は皆、そのことを忘れてしまいましたね。
日本語の表現が多少拙いぐらい、何だと言うのでしょうか。
最も大事なものは、その人の持つ能力ではないのですかと。