前編では、マックス・ウェーバーの「社会的行為」とテンニースの「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」についての説明をさせて頂きました。
ここでテンニースの「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」について、日本の場合を考えてみたいと思います。
日本では、まずは縄文時代に「家族とその土地に住む複数の家族が協力し合って外敵に対応し、より生存できるようにする」ということで「ムラ」ができました(現在の自治体の「村」とは区別するためカタカナ表記になるそうです)。
この「ムラ」が「ゲマインシャフト」に相当します(前回の図です)。
そこでは力の強い男性は狩りへ、女性は子育てを含む生活のサポートをするようになりますが、この時点では貧富の差がなく長老のようなリーダーを中心とした互助的な共同体でした。
その後の弥生時代になって稲作が始まり、貧富の差が出るようになります。
何故なら収穫したお米は他の食糧とは違い保存ができるものなので、たくさんのお米を持っている者と少ししか持っていない者が出てきたからです。
(つまり、お金の三大機能「交換(決済)・保存・尺度」の中の「保存」ですが、日本は他国とは違い、長い間お米はお金と同じく貴重なものとして非常に重視されてきました。その象徴的なものが江戸時代の石高制です)
それと同時に、稲作の作業にも向き不向きがあり「優秀な者とそうではない者」の差もできました。
これは私見ですが、狩りの場合は獲物となる動物の種類は多く、直接狩るだけでなくあらかじめ罠を仕掛けておくなどの方法もあり、要求される能力の幅が稲作の作業よりもかなり広くなると思います。
またそれ以前に、それほどでもない「目が良くて遠くまで見渡せる」「食べられる物が落ちているところに気付く」などの能力でも、十分に有難がられるでしょう。
何故なら、その時代は「食糧の保存がほぼできない」からこそ、生活していくことが非常に難しい状態であるため、誰かが持つ「ちょっとした能力が発揮できるか否かで、生死を分ける」こともあるのです。
そのため狩猟・採集時代の「優秀な者とそうではない者」の差が、稲作ほど顕著ではなかったのではないでしょうか。
つまり稲作が始まり保存ができる状態になると、そこで「収穫量をできるだけ多くする」という目的ができます。
そうすると、収穫量を増やすためには稲作を行う土地を拡大し、できるだけ多くの作業をこなす必要があり、そのためには作業に長けた人を育て農具を開発し……ということで、それらに特化した組織ができました。
つまりそれを言い換えると「目的を達成するために合理的な組織(=目的合理的行為に特化した組織)」とも言えますね。
(さらに作業に長けた人や長老のようなリーダーとして優秀な人は、収穫量を増やすための貢献度が大きいとみなされお米を多く受け取ることができるようになり、これがお金の三大機能「交換(決済)・保存・尺度」の中の「尺度」に相当します)
この延長線上には現在の株式会社も含まれるわけであり、それらが「ゲゼルシャフト」に相当します。
というわけで、ここら辺の話を「社会的行為」の図に追記すると、以下。
と、まぁ、こんな感じになりますか。
しかしこれは日本だけの話ではなく、全世界共通のような気が……。
そんな気持ちになってこの図をじっと見つめて、気付いたことが一つ。
国民性ってありましたね、その国民の持つ性質や価値観というものが。
……が、かなり長くなりそうですし、すぐにその考えがまとまりそうにもないので、今回はここまでとさせて頂きます。