ドイツの政治学者・社会学者マックス・ウェーバー(ヴェーバー)は著書『社会学の基礎概念』で、行動や行為についての考察をしています。
その行為(人が何らかの意志や目的を持って意識的にする行動)の中でも、特に社会的なものを「社会的行為」とし、次の四つに分類しました。
1,目的合理的行為(目的を達成するための行為、結果を出すことは必須)
2,価値合理的行為(価値観に対しての行為であり、結果ではなく満足感)
3,伝統的行為(日常的に身について習慣化し、当たり前になった行為)
4,感情的行為(感情が動機である行為)
前者の二つが「合理的な行為」であり、後者二つが「非合理的な(合理的ではない)行為」ですが、会社の場合は前者の「合理的な行為」が経営の根幹を占めていなくてはなりません。
会社は「できるだけ多くのお金を稼がなければならないところ(=営利目的、利潤追求)」であり、そのため合理的になる必要があるからです。
(……という話は以前にも書いたことがありまして、これがその記事です。
ご興味ある方は、こちらもよろしくお願い致します)
日用品であれば営利目的のため、つまりほとんど「目的合理的行為」で良いのですが、扱う商品がラグジュアリーや芸術またはマニアックな商品などの、特に嗜好性の強い商品になればなるほど「価値合理的行為」が必要になります。
何故ならば「目先の利益に目を奪われて価値を落とす行為をしてしまうと、長い目で見るとその会社は衰えてしまうから」なんですね。
それ故に「目先では利益を最大化できない(場合によっては損失が発生する)が、長い目で見ると価値の喪失を避けることができる行為」という場合は、日用品の会社では絶対にしない行為をする、ということもあるわけです。
(その具体的な例は、先ほどのリンク先の記事に挙げています。よろしく!)
ここまでマックス・ウェーバーの「社会的行為」のお話でした。
ここからは「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」について。
これはドイツの社会学者テンニースが提唱した「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」の社会進化論からのものです。
(社会進化論とは社会ダーウィン主義と言われることもある「人間の社会は進歩的に発展していくと考える思想」です。
この社会進化論という概念は、19世紀のハーバート・スペンサーにより「ダーウィンの自然選択説を拡大解釈したものを、生物のみならず社会学まで拡大した」ことで生まれました。
今となってはいろいろ問題のある思想ではありますが、人類史上多大な影響を与えたのは確かであり、スペンサーとそのちょっと前のオーギュスト・コントは「社会学の祖」と言われています)
「ゲマインシャフト」は、概ね「共同体」を意味するドイツ語で、地縁や血縁などにより自然発生した社会集団のことです(和訳では「共同体組織、共同社会」)。
「ゲゼルシャフト」は、概ね「社会」を意味するドイツ語で、自然発生したものではなく利益や機能を第一に追求する人為的な集団のことです(和訳では「機能体組織、利益社会」)。
テンニースの主張を非常にざっとまとめますと以下。
①先に「ゲマインシャフト」が、その後「ゲゼルシャフト」が発生
②「ゲマインシャフト」は「血→地→精神」の順に発展
③「ゲゼルシャフト」な社会において文化は衰退(→回帰すべき)
(上記、種村剛先生の記事「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(Gemeinschaft / Gesellschaft)」を参照させて頂きました)
①について、生きるのが難しい時代は「生きることそれ自体が目的であり、最優先」となりますので、お金を稼ぐなど具体的な目的で集まった「ゲゼルシャフト」よりも先に「ゲマインシャフト」が発生します。
②について、まずは家族という血縁関係から、それが同じ土地に住む複数の家族による地縁関係となり、その後に宗教など精神的な結合による集団ができていきます。
③について、具体的な目的によって発生した集団は組織化し、この組織に属する人には役割を求められ、さらにその役割に特化した優れた働きを期待されるようになり、逆にそれ以外の役に立たないものはすべて排除されるようになります。
その排除の対象とされるものには、文化のような良いものも含まれます。
というわけで、まず「ゲマインシャフト」はどこに来るのか?
ここに来ます。
まずは血縁から「家族だから、協力して(これをやって)当たり前」と言われ。
次に地縁で「ムラの一員だから、協力して(これをやって)当たり前」と言われ。
さらに精神で「○教の一員だから、協力して(これをやって)当たり前」と言われ。
その共同体の中でルールができて、それが習慣化するところから始まります。
後編では、日本の場合でもう少し詳しく考えてみることにします。