以前に「教養がある(と言われる)人になるまでの教養を身に付けるのは難しいが、教養がないとは言えない状態なら、さほどでもない」という記事を書いたことがありました。
その記事は以下です。
お時間のある方は是非、上記リンク先の記事もよろしくお願い致します。
ない方のために以下、該当部分を抜粋します。
それは……
◎自分の教養に相当するものはこれだ
……と思うものを持っておくことです。
何だって良いんです。
些細なことでも構いません。
もちろんお金に換えられなくても大丈夫。
教養とは「人生をより幸せにするために、必要なもの」ですから。
それが何であれ「これが私の人生をより幸せにするために必要なものである。誰が何と言おうと必要だ。誰にも文句は言わせない」で良いのです(犯罪など人の道に外れる行為でなければ)。
ここまでのことができたら「自らの教養はこれだ」という意識があって、それを持っているというわけですから、教養がないという状態ではありませんよね。
という話を前回の記事ではさせて頂いておりました。
今回の結論は……
◎自分にはわからない他者の趣味を「私にはわからないが、あの人をあんなに幸せにしているのは素晴らしい、きっと良いものだろう」と思うこと
……です。
裏を返せば「わからないものをわからないという理由だけで(人道上の問題もないのに)、全否定しない」という話でした。
この話は前も書いたことあったなぁーそう言えば。
具体的にどうすれば良いのかを言えば、こういう話でした。
書きたかったことは以上ですが、これだけでは何なので。
昔、何かのトーク番組(番組名や局などはすべて失念)で聞いた、女優の夏木マリさんのお話を追記します。
夏木マリさんは日本のみならず、欧州でも公演をされておられますが。
その欧州で初めて公演した時、たくさんのお客さんに席を立たれてショックを受けたそうです。
ですがしばらくすると、向こうでは「自分には合わない」と思ったら途中でも席を立つというのは、一般的なことだということがわかったそうです。
むしろ「演じている人に悪い」とか「周りの人に迷惑だ」とか、あるいは「チケット代がもったいない」などの理由で、席を立たない日本人の考えの方が珍しいものだったとのこと。
そしてその「合わない」という理由については「自分の好みとは合わない」というだけであって、その作品が良いとか悪いとか、そういう話でもないのだと。
だから「お客さんに途中で席を立たれても、気にすることはないのだ」と、そういうことを欧州での公演で教えてもらったと仰っていました。