
昨年の大晦日、女優の中村メイコさんが亡くなられていました。
中村メイコさんと言えば、故・坂本九さん歌唱の「上を向いて歩こう」が生まれるきっかけになったことでも有名でした。
この「上を向いて歩こう」は「Sukiyaki」という名前で、アメリカの著名な音楽チャートであるビルボードで一位になったことでも有名です。
そこに何故中村メイコさんが出てくるのかと言いますと、この曲は作詞をされた故・永六輔さんが中村さんに振られてできた、という話があるからですね(作曲は故・中村八大さん)。
この話は中村さんの著書で明らかになったのですが、永さんの娘さんが事実ではないと仰っておられるようです。
ただ、どこまでが事実ではないのか、というのがちょっとわからないかなと。
お父様に電話した辺りから、あるいは電話した後の返答から事実ではないのなら、中村さんが結婚するということを聞いて号泣したところまでは本当、ということになるわけですけれども。
すべて事実ではないのなら、事実無根だときちんと言えば良いのに……と、ちょっとだけ思ってしまいました。
いや、言えないお人柄だったんですよねきっと。
永さんと言えば、昔、拝読した本で以下のような話がありました。
(タイトルも覚えていないし、検索したけど事実がどうかわかりませんので、ソースは私の脳内ということに……)
昔、永さんがアメリカの滞在中、マイルス・デイビス(←多分。サミー・デイビスJr.かも?)のショーに行ったそうです。
そしたらそこで、この「Sukiyaki」が演奏されたそうです。
それで永さんは思わず「この曲を書いたのは私だ」と言ったそうです。
そしたらマイルス・デイビスが永さんに満面の笑みで駆け寄って握手をして、一言こう言ったそうです。
「ナイスジョーク!!!」
永さんは苦笑して、それ以上何も言わなかったのだそうです。
いや、そこでもうちょっとがんばろうよ永さん!
……と、うっかり思ってしまいましたが。
そもそもそこでがんばるタイプのお人柄なら、そもそもこの名曲は生まれていなかったのではないでしょうか。
中村さんに思いを打ち明けられないタイプだったから、あの名曲が生まれたわけですから。
もしも早くに思いを打ち明けていたら、あっさりお付き合いできていたかもしれません。
そしたら涙がこぼれないように、上を向いて歩く必要もありませんよね。
ただしその時には、別の名曲が生まれていたかもしれません。
果たしてその曲は、ここまで人の心を掴む名曲になり得たでしょうか?
「作家という仕事は、身を削ってするものだ」と良く言われますけども。
身を削るといろいろ痛いし、それを代償とするのは辛いことだなと思います。
そのような代償で、生まれた名曲は。
作詞作曲した人、歌った人、きっかけになった(かもしれない)人、すべて亡くなられても。
生き続けて歌い継がれていくのだなーと。
昨年の年末の訃報を知って、書いておこうかなと思っているうちに時が過ぎ……。
~2024/3/29 こっそり追記~
上記リンク先より引用。
若き日の俳優中村メイコさんは困ってしまった。結婚することが決まったと、ボーイフレンドの一人だった永六輔さんに伝えたら、泣かれてしまったからだ▼公衆電話から作家の父に電話すると、こう助言された。「『上を向いて帰りたまえ』と伝えたまえ。『涙がこぼれないように』とね」。そのまま永さんに言った
引用以上。
この先の別の話で、助言した中村メイコさんのお父さんが冗談で「印税が欲しい」と言っていた、というのも検索されて出てきましたが。
ここら辺(電話の話から先)の話はむしろ、虚偽であった方が良いですよね今の時代では。
そりゃーお金は儲かったかもしれないけど、ふられて傷ついた人に「印税よこせ!」って、ひどいじゃん。
リンク先の新聞には書かれていないけど、娘さんがここまでの話をご存じだったら、そりゃ「朝から腹が立って仕方ない」ってなりますよね。
昭和の価値観だと「ナイスジョーク!!!」だっただろうけどさー。










