今回は、前回の以下の記事の追記となります。
追記したいのはどういうところかと言いますと、前回で「富は有限で奪い合うもの」は誤りだと書きましたが、誤りではない時代もあったよねーて話です。
まとめますと以下。
この画像でピンと来た方もいらっしゃるかな?
昔の富には、上限というものがありました。
ヒントは金属。
そう、昔は金本位制とか銀本位制とかいうものがあったんですね。
ニクソンショックでブレトンウッズ体制が崩壊し、アメリカはドルと金(きん)の交換をしてくれなくなりました。
あれから世界中の各国のお金はすべて不換紙幣というものになり、金(きん)や銀などの物による裏付けがなくなったわけです。
このことを社会科教師だった私の母は「裏付けがなくなった」と悪い方に捉えていたし、学校の先生も概ねそんな感じだったように思います。
(その価値観がそのまま「富は奪い合うもの」に繋がり、かつ日本の低迷の元凶にも繋がっているのではないか、という思いもあります)
私はここで、声を大にして、言いたいのです。
裏付けがないのはそんなに悪いことなんか、と。
話を戻しますと、富の上限とは何なのか。
金本位制なら「地球上にある金の量が上限」となります。
上限があれば、いつの日かその上限に達する日が来るわけで(そりゃ遠い遠い先かもしれんけど)、そうなると「(供給VS.需要などで)富を奪い合うのは正しい行為」になるわけです。
金(きん)をすべて掘りつくした後も、地球上では生産活動が変わらず行われます。
そうすると新たに紙幣を発行して対応するわけですが、既に上限になっているので発行すればするほど一枚当たりの価値は目減りしていく、ということになりますよね。
またこれとは逆に、ものすごい金鉱脈が見つかったとか、月にものすごい金鉱脈があってそれを持って帰ることができるようになったとかになると、もちろん金(きん)の価値とともにお金の価値も暴落することになるわけです。
(実際の話、16世紀に中南米で大量の銀が発見されましたが、それが欧州へと流入し物価が暴騰するという、いわゆる「価格革命」が起こっています)
というわけで、何が言いたいのかと言いますとですね。
「たかが金属に、人類が支配されても良いんですか?!」
ということでした。
金とか銀とかはそりゃ貴重かもしれませんが、たかが金属ですよ金属。
金属の都合で人類が振り回されるとか、ありえなくないですか?!
だから仮想通貨を裏付けのないものとしてバカにする人がいるけど、裏付けというものがあったらあったで、その裏付けに支配されることになるわけですよ。
それでも良いんですか?!
今は兌換紙幣の時代ではなく、不換紙幣の時代です。
不換紙幣はその国の「信用」しか含めることができませんが、クレジットカードにはそのお客さんの「信用」も含めることができます。
そしてもちろん仮想通貨(暗号資産)は、クレジットカード以上のデータを含めることができ、その中にお客さんのみならずたくさんの「信用」を含めることができるのです。
いやー、仮想通貨(暗号資産)って、良いもんですよねー。
……って、そういうオチかい。