タイトルのような「グローバルな」とか、あるいは「俯瞰的な」または「大局的な」視点で「DX」にどうこう……みたいな表現は、たまーに見かけるのですけれども。
中には明らかに内容がおかしいものが含まれています(もちろんそうではないものもたくさんあります)。
そもそも近年よく見かけるようになったDX=デジタルトランスフォーメーションという用語ですけれども、元々の意味をきちんと理解して使っている人って、どのくらいおられるのでしょうか?
というわけで、今回はそのことを書こうと思います。
デジタルトランスフォーメーションとは、2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授が「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」と定義し提唱したものです。
これを「広義のデジタルトランスフォーメーション」と言うこともあります。
日本でのデジタルトランスフォーメーションは、2018年に経済産業省が「デジタルトランスフォーメーションを推進するためのガイドライン」を取りまとめたことで広がり始めました。
ただし、その前から既に知っていてそれを戦略に取り入れていた人もおられるでしょうね。
有名な方で言えば(……というか、私はこの方しか知らないのですが)、例えばオリックスの宮内義彦シニア・チェアマンとか。
宮内チェアマンがデジタルトランスフォーメーションに言及していてそれを私が知ったのは、2016年の秋です。
(その時に書いた記事が「オリックスから株主優待のお品を頂いておりました」で、それを思い出した記事が「出会いは不純な動機から、だけど会えて良かった。勉強になりました」、元々やってたブログです。ご興味ある方は是非)
デジタルトランスフォーメーションの存在は夫から聞いて知っていたのですが、夫以外でかつ活字で見たのは宮内氏が初めてでした。
その宮内氏がされていたデジタルトランスフォーメーションの話は、上記に書いたような広義のものであり、そういう方向(=ITであらゆる面で良い方へ向かう)に世界が進もうとしてる時に「我々はどのように貢献すべきか」的な話をされてていたのです。
そしてそのためには「勇気出してリスク取って挑戦しなければならない(のに、皆が内向きの力を発揮しているのは残念だ)」ということを語っておられました。
(ここら辺の内容にご興味ある方は、先ほどの「出会いは不純な動機から、だけど会えて良かった。勉強になりました」も是非……って、くどいっすよねすんません)
というわけで少々話が脱線してしまいましたが、2018年に経済産業省の「DX推進ガイドライン」で世の中に「DX」という略語と共に広がったわけですけれども。
この「DX推進ガイドライン」には以下の文言があります。
・本ガイドラインは、本年9月に公表した「DXレポート」における提言を基に、DXの実現やその基盤となるITシステムの構築を行っていく上で経営者が抑えるべき事項を明確にすること、取締役会や株主がDXの取組をチェックする上で活用できるものとすることを目的
つまり「現実の経営にどうやってDXを導入するんですか?」という話になっているわけです。
そこからさらに、一般の人が「DXって何やねん?」で検索すると、よりわかりやすい例として「自動車業界で言えば自動運転とか」という話にも発展します。
この自動車業界の例をもっと詳細に言えば「自動車に最先端のIT技術を導入し、すべての運転を自動化すること」で、お客さんが「運転する手間を省いて交通事故も減らせる」という、お客さんの生活を「より良い方向に変化させる」ことができる、という話になります。
(自動車を運転することは一部のお客さんにとっては楽しいことでしょうが、多くの人には負担であり疲れていると運転が下手になり危険⇒事故る可能性大になります)
このため、今現在では「DX」と言えばこの自動運転のように「各企業がデジタルの技術を駆使して、劇的に進化・向上させるすごい商品を生産・供給すること」のような意味で使われている方が多くなっています。
というわけで、今現在の「DX」とはより具体的な「狭義のデジタルトランスフォーメーション」という意味で使われることの方が遥かに多いのです。
意味だけで考えた場合は「グローバルな視点」で「DX」にどうこうというのは、特におかしくないよね、となるわけですけれども。
ここまでお話しすると、私が何を書きたかったはバレバレのような気がしますが、一応ヒントらしきものを。
~~漫画『1・2の三四郎』で、三四郎が有名な技「ウエスタンラリアート」から思いついた新技「ジャンピングウエスタンラリアート」は、実は「ウエスタンラリアート」の元となる技「ランニングネックブリーカードロップ」だった~~
って、このヒントの方がわからんっちゅーねん(わかる人おるかな?)。
少し書き足しますと「ランニングネックブリーカードロップからスタン・ハンセンがウエスタンラリアートを編み出したわけですが、三四郎はそれを知らずにウエスタンラリーアートからランニングネックブリーカードロップを思いついた(元に戻した)」という話です。
せやから、これはヒントになっていないやないかという話でしたが。
結論と致しましては、この「グローバルな視点」で「DX」にどうこうというのは、要するに「グローバルな視点」の「狭義のトランスフォーメーション=DX」とは、元々の「広義のトランスフォーメーションに戻しただけやないんか?」ということが言いたかっただけです。
えっそれだけですか?
はいそれだけです。
それだけですけど、これって結構深くて大きな問題を抱えていますよ?
既に気付かれている方もおられるでしょうが、我々に日本人は「すぐに具体的で狭い話へと促す」性質を持っています。
そしてその状態で時間が経つと、最初の抽象的で広い話を全部忘れて「極端に視野が狭くなる」ということも起こります。
すると「手段と目的を違える」「手段が目的化する」という問題に発展することも多々あるのです。
例えば「人生の目的は幸せになること」ですが、その「幸せになるという目的のためにお金が必要」であり、かつその「お金を得る手段として働く」という話なのに、何故か「お金」や「働くこと」それ自体が目的となってしまうとか。
そしてこのようなことを教えてくれるのは親とか学校の先生とか、あるいは学校とか職場だけではありません。
今、私は漫画を例に挙げていますが、漫画だけではなくアニメやゲームで学べることはたくさんあります。
だからこういう娯楽の作品を悪だと決めつけるのは、前に書いた「文系の学問は役に立たない」という話同様、やめて頂きたいと心の底から思っております。
前回でも触れましたが、その気持ちが高じて本一冊書いてしまいました。
つーか逆に言えば、本一冊書けるぐらいの内容はあるんですよ皆さん。
私は心の底から言いたい、漫画やアニメやゲームをバカにするなやと。
大事なのは「そこからどういう情報を得られましたか?」ということであって、それが仕事とか娯楽とかは関係ないじゃないですかと。
(もちろん犯罪など人の道に外れることはダメですけど、娯楽の何が悪いのかと)