私は動画の視聴は苦手であり、普段ほとんど観ません。
ですが久しぶりに、評論家の山田五郎先生の動画を視聴しました。
そこで勉強させて頂いたことを、ここに書き残しておこうと思います。
まずは「教養とは何か?」ということから。
もしこの質問をされたら、どのように答えられます?
私は「人生をより幸せにするために、必要なもの」と答えます。
人生の目的は「幸せに生きる」ということですが、そのために「不幸の回避」と「より幸せになる」という二つに分けて考える必要があり、そのために使うものは「前者は日用品、後者は嗜好品」となるわけで……
……という話をすると、長くなるのでやめますけれども。
つまり、その「より幸せになる」ために必要なものが「教養」であると。
ならば、その「教養」を身に着けるためにどうすれば良いのかと言いますと、そこで「芸術」やその中の「美術」を学ぶという方法があります。
(というわけで、ちょっとずつ美術史を学んでいこうと思って書き残したのが、この記事だったりします)
で、個人的に芸術やら美術やらを学ぶために、必要不可欠なものが「寛容さ」だと思います。
芸術かそうでないか。
優れた作品かそうでないか。
そういったものは、工業製品や道具、生活必需品のように簡単にわかるものではありません。
自分がわからないからという理由で全否定した作品が、後からものすごく素晴らしい価値あるものだとわかったら、恥ずかしくないですか?
それどころか、芸術や美術に関係するお仕事をしていた場合、収入が激減するなど「恥ずかしいだけでは済まない」ことになる可能性もあります。
そこで、否定をしない「寛容さ」というものが必要となるわけです。
また、この「寛容さ」は今の時代を生きる我々にとって「各人の分散化した好みを許容する上でも必須のスキルである」とも言えます。
この話については、山田五郎先生の以下の動画で学びました。
8:50~ぐらいに、ドガの最晩年の話になります。
亡くなった後のアトリエから、直前に製作した作品が家族によって発見されますが、それが芸術と言えるかどうか微妙な(つか、はっきり言うとキモい)ものが多かったのだとか。
そこでご遺族が確認して、そのギリギリ大丈夫そうなのところのものを公開するわけですけれども。
これもドガ本人が確認した場合とは、違った結果になっていた可能性があります。
というわけで、芸術かそうでないかの線引きは難しいということが一つ。
それともう一つ、このドガの作品について山田先生は「誰(モデルの女の子等)にも悪いことはしていない。犯罪を犯しているわけでもない。誰にも迷惑をかけていない」(13:20~ぐらい)と仰って擁護しています。
ここら辺に山田先生の寛容さが表れているのではないかと、私は思います。
(というわけで、キモさ爆発な前回記事もお許し頂きたいなと。汗)
まぁ、そんなわけで、一例としてこの動画を挙げましたけれども。
もうちょっと全般的な話として、以下の動画もおすすめです。
0:20~ぐらいに、教養の身に付け方についての質問があります。
要約すると以下のようなものです。
Q「幅広い教養の身に付け方のコツがあれば、教えてください」
A「ないよ!(=集めようと思って集めるものではないから)」
なお、この動画は公式チャンネルのものではなく、公認の切り抜き動画のものですけれども。
あえてこちらを貼ったのは、この動画のコメント欄にご注目頂きたかったんですね。
それが以下です(画像で引用させて頂きました)。
ここには、ものすごい学びが含まれていませんか?
というわけで、タイトルの「教養の身に付け方のコツ」は何かと言えば、その答えは「ない」ということになるわけですけれども。
(って、タイトル詐欺やないですかと)
実は「教養がないとは言えない」状態にするだけなら、コツはあります。
しかもこれ、意外と簡単です。
次回にその話をさせて頂こうと思います。
ご興味ある方は、よろしくお願い致しますm(_ _)m