株式投資をしている方には「そんなん、当たり前やん」と言われそうですが。
俗にいうIT企業と言われる会社は概ね、割高と言われる水準で株価が推移しているものが珍しくない状態です。
その理由は長らくの間、期待値が高いからという理由で説明されていました。
確かに、このことも未だに大きな理由の一つです。
「これができるようになったら、あんなこともこんなこともできて……」
その期待が膨らみすぎて破裂し、いわゆるITバブル崩壊ということもありました。
ただし全部が全部、その理由だけではありません。
何で割高となってしまうのかと言いますと「現在の株価の状況を判断する指標が、十分に対応できていない」という理由も含まれます。
つまり従来の指標であるPER(株価収益率)やPBR(株価純資産倍率)では、その企業が「どれだけの顧客に関するデータを持っているか」「どれだけそのデータを使いこなす能力があるか」などを推しはかることができないのです。
そのためPERやPBRが割高でも、その「データ関連から利益を出す実力があり、その力が含まれていない(と考えられる)会社は、買いだ」という投資家が多く存在する、だから「割高のまま株価が推移する」というわけです。
(と、ここで、データと情報の違いを少々。
例えば天気予報で言えば「雨雲の量、風向きや風速」などの気象データを使って「どこそこの地点では、今日の夕方に雨が降る確率が高い」という情報を得られます。
データは人にはわかりませんし、それ故にそのままでは役立てることができませんが、そのデータを使うことで人にわかりやすく役にも立てられる情報というものに変えることができるわけです。
どのように役に立つのかは様々ですが、その用途の一つに「お金」に換えられるというのもあります)
ですが話はこれだけではありません。
これは会社だけの話ではなく、個人にも当てはまるからです。
上記に書いた「情報を上手く使うことで、それをいろいろなものに換えられる」というところです。
個人では、選んで得た情報を使って投資をする(=情報をお金に換える)、買おうと思っていた商品をより安く買う(=情報を物に換える時に有利にする)だけでなく、例えば「捨てられなかった保冷剤を冷蔵庫の消臭剤に転用する」など(=情報をそのまま使うことで節約する)ということができるわけです。
さらに言えば、この個人の持つ情報の中には、いわゆる教養(文系の学問に多く含まれる)というものも含まれています。
というわけで、価値があるのに評価できない例としては文系の学問もあり、それは『すべての人、特に文系の皆さんへ。あなたの知(=教養)はお金になります』でも書いたように「価値があっても評価できない(故に、お金にならない)ものは、価値がない」と考えるのは誤りなのです。
(上記の関連として、私は個人的に「リュクス(ラグジュアリーのフランス語だが、ラグジュアリーより個人のこだわりを重視)を持つこと」をおすすめしています。
ここら辺の話にご興味ある方は『リュクスと選択と自己責任の範囲について』という記事も、よろしくお願い致します)
IT企業を「期待だけで実力以上に持ち上げられている」と判断するのも、文系の教養ある人を「お金を稼ぐ力がない知識を持っていても価値がない」と蔑むのも、いずれも誤りであると私は言いたいのです。