今回の記事はKTAG様の以下の記事を拝読し、書かせて頂いたものです(ありがとうございました)。
書きたくなったきっかけの文章を以下、引用させて頂きます。
自分が持っている資本が一体何なのかを見つめ、どのように生きるのが幸せなのかを考える。
マルクス曰く、資本家になる一つの手段として、偶然資本となる何かを発見する必要があると言っています。
幸せの資本は意外に身近なところに落ちているかもしれませんね。
で、そこで私は「リュクスを持つこと」をおすすめしているというわけです。
リュクスとはラグジュアリーのフランス語ですが、英語であるラグジュアリーよりも「(他者の評価が高いことの証しである)価格よりも、個人のこだわりを重視する」というものです。
何故リュクスを持つことがおすすめなのかと言いますと、まずは「それがラグジュアリー化して資産になる可能性がある」ということが一つ目。
さらに「ラグジュアリー化ではないけど、テクノロジーの進歩によって資産になる可能性がある」というのも二つ目。
そしてもう一つは、上記のようなお金にはならない間でも、それが「あるとその人は幸せな時間を過ごすことができる」という、これが三つ目の理由です。
が、実はそれだけではありません。
ついでにこの三番目の理由は、同じ趣味を持つ人を見つけてより人生が楽しくなったり、雑談の話題になって別の有益な情報を引き出すことに貢献したりもします。
つまり、リュクスとは使い方次第で資産に化ける「情報」を持っているものである、ともいえるでしょう。
今、これからの購買力とは、以前と違い金額だけの問題とはなっておらず、個人の資質に依存する度合いがどんどん大きくなっていくわけですね(この話についてはこの記事でお話ししています)。
で、個人の資質とは具体的に何なのかと言いますと、ざっと言えば「選ぶ」能力となります。
自分に合ったものを選ぶわけですが、目的がインフレ回避なら金融の知識が必要ですし、趣味嗜好なら自分の好みを知る必要がありますし、その中でどういう商品があってどういうメリットデメリットがあるのか、など対象の物を調べて選択する必要もあります。
で、それを選択する際には、選ぶのは自分であるという「自己責任」の範囲が、より大きくなっていきます。
つまり「自己責任の範囲が大きくなる」ということは、それだけ選択肢が増えて自分により合ったものが選べるようになる、ということであり、基本的には良いことなんですね。
とはいえ「仮想通貨のパスワードを忘れて資産を失う」など、もちろん悪いこともありますので注意が必要ですけども。
ただし、餓死するのは自己責任、のような使い方は誤りです。
何故なら「自己責任で拡大する範囲は、嗜好品の範囲に限られる」からです。
日用品の、それも生存権の範囲内は自己責任ではなく、国が責任を負うところであります。
だからベーシックインカムは必要だと私は思っています。
ベーシックインカムを再分配に使うのではなく、国民の投資のために使って欲しいなと。
(従来の人的資本への投資である、プログラミングや英語を勉強したい人はもちろんのこと、そういう勉強したいものがない人に対しては「投資または一見消費に見える自分への投資」のために使って頂きたいなと)
財源の確保が無理だと言うなら、とりあえずアメリカみたいに食料品がもらえるクーポンなら簡単に貰える状態にしておいて欲しいと思うのですけども。
(しかし、これをやろうとすると「どこからどこまでの食料品を対象にするのか、線引きが難しい」とか言うんでしょうねきっと。
受け取る人、つまり餓死を防ぐ必要がある人が最優先ではないのですかと。
ここら辺も「供給側の立場を優先する」という、日本の価値観が悪い方に作用していると思います)
まずは「命あっての物種」ではないですかと、私は声を大にして言いたいのです。