今回はフリーライダーと外部不経済について、調べてみました。
そのきっかけとなった記事は以下です。
では、いきます。
フリーライダーには社会用語と経済用語の二つの意味があるそうですが、共通するところで言えば「対価(経済的・時間的・労力的な費用)がない(または非常に少ない)状態でその利益を享受する」ことです。
例えば「発展途上国の自然を破壊して生産された魚介類を、先進国が消費する(地球環境の破壊を伴う不当な利益を得ている)」という社会的に大きな話なら社会用語となり、もっと具体的で経済的な話になると経済用語になるわけです。
最も身近なフリーライダーの例は俗に「フリーライダー問題」と言われているもので「自分は仕事せず部下の成果を奪い取る上司」「必要のない残業をダラダラして残業代を稼ぐ(ダラダラ残業)、あるいは残業そのものをせず残業代を稼ぐ(カラ残業)」などがあります。
後者の残業の例については近年、世間の目が厳しくなってきましたので少なくなっているでしょうが、逆に「とにかく残業はけしからん」と規定時間内の終業を強要する「ジタハラ(時短ハラスメント)」が問題となっています(参考:「部下の残業肩代わり、うつに…自殺 ホンダ系店長、労災」)
で、いろいろ調べてみると「日本ではフリーライダーは起こりにくい国民性を持つ」という意見の記事が出てきました。
何故かと言えば「フリーライダーを許さない真面目な国民性」をその理由に挙げています。
例として社会的なものでは、コロナのワクチン接種について「ワクチン接種をする人が多くなるとコロナにかからなくなるので、それを狙って接種しないというのは許せない」であり、経済的なものでは先ほどの「(ムダな残業どころか)残業すること自体、会社に損害や残業させる悪いイメージを与えるのでけしからん」など。
しかし逆に「日本だからこそ(他国には少ない)フリーライダーが発生する場合がある」と私は主張したいのです。
そしてもっと言えば、それで発生しているフリーライダーの件数を数えると「結局はチャラどころか、ひょっとすると他国よりも多いかも?」ではないかと。
まず最初に「フリーライダーを許さない真面目な国民性」によって引き起こされた経済損失の一例がまさに、先ほど触れた「ジタハラによる自殺」でしょう。
また、自殺まではいかなくとも、残業をしないことを優先するあまり「必要な仕事まで削ってしまった」という、本末転倒なことをやってしまうこともあるでしょう。
日本人は「目標に向かって頑張る」のは良いのですが、それが過剰になり「目的と手段を混同する」という欠点に繋がることが多々あります。
それともう一つ、私が常日頃からしている主張の繰り返しになりますが「人事の評価に問題があるから、フリーライダーが生まれやすくなる」というのもあります。
先ほど挙げた「自分は仕事せず部下の成果を奪い取る上司」の場合、例えば「部下が成果を出したら当然その本人も評価するが、そんな優秀な部下を育てた上司も同時に評価し、かつ今回限りではなくずっと加算されていく(かつ自身で成果を挙げた場合は一回限りでしょぼい評価しかもらえない)」という形にすれば、どうでしょうか。
これは一例ですが、要するに「部下の成果を奪い取るという行為をすると、逆に損するじゃないか」というシステムにすると、この場合のフリーライダーは激減するでしょう。
つまり、いつも言うてる「日本人は評価する能力が低い(し、そのことに気付いていもいない)から、こうなる」という結論でした。
コトバンク様によりますと、外部不経済とは以下(引用します)。
イギリスの経済学者 A.マーシャルが用いた言葉で,市場を通じて行われる経済活動の外側で発生する不利益が,個人,企業に悪い効果を与えることをいう。外部不経済の代表的な例としては公害問題がある。
かりに騒音公害があったとすると,その周辺の住民はその公害がなかったときに比べ不愉快な生活を強いられることになる。住民にとって公害は,なんら市場原理に基づかない経済的不利益をこうむることになるので外部不経済となる。
上記のフリーライダーの話で言えば、社会的な例で挙げた「発展途上国の自然を破壊して生産された魚介類を、先進国が消費する(地球環境の破壊を伴う不当な利益を得ている)」場合で、その発展途上国の住民が「市場原理に基づかない経済的不利益をこうむる=外部不経済」となるわけですね。
さらにコトバンク様によりますと「経済政策的には、外部不経済をできるだけなくすこと、できれば外部不経済を市場価格に基づいて内部経済化することが課題」とありますが、この「内部経済」って何ぞや?
というわけで、その「内部経済」とは、これまたコトバンク様より以下。
A.マーシャルが用いた概念で,大規模生産が企業内部のコストを切下げることによって生じる経済的利益をいう。外部経済に対する概念。大規模生産は,機械化あるいは生産管理の集中化による経営の合理化,作業の特殊専門化による労働生産性の向上,小企業より金融の便が得やすいこと,さらに大量安価な原材料の購入が可能になるなどの利点がある。
逆に生産規模の拡大に伴い,組織が大きくなりすぎたために組織の管理能力や統制の乱れによって生じるマイナスの効果を「内部不経済」という。
ここで「内部不経済」という用語が出てきましたが。
この「組織の管理能力や統制の乱れ」の中に、先ほどの「人事評価の問題」も含まれています。
即ち(外部か内部かにかかわらず)「不経済」という問題には、我々日本人の欠点である「評価能力が低い」という問題も含まれている、と言えるかと思います。
今回私が書きたかったことは以上ですが、いろいろ調べていると国土交通省様の以下のファイルを見つけました。
そこで「外部不経済をもたらす土地利用の例」として、以下の画像がありました。
以前、父から母が相続した不動産がまさにこんな感じ。
父は財産のつもりで、取得していたみたいですけどね。
(母がいろいろがんばって、既に売却しています。
はっきり言って、かなりのマイナスでしたわぁー)