僕は小学一年生の時に始めてから、高校最後の大会で敗退するまで約12年間サッカーをやっていた。今でもたまにボールを蹴るし、海外サッカーを見たりする。僕の人生とサッカーは切り離せないものである。
これだけ長い事サッカーと付き合っているので当然様々なエピソードがあるのだが、その中でもとびきり記憶に残っているものをひとつご紹介したい。
僕が通っていた高校は、学力も部活動も平凡で特に秀でた所のない普通の公立校だった。サッカー部は史上最高でも県予選4回戦どまり。雑魚である。
だがまあ部活の価値とは強さではなく、禁欲して努力したその日々にこそあるものである。そう信じたい。何故なら最後の大会一回戦で負けたから。僕らと当たった相手校は生徒全員が毎日地蔵さんでも磨いて徳を積んでいたのだろう。おめでとう。
そんな弱小チームを作り上げたサッカー部顧問・田中氏(仮名)は僕が高3の時、御年60歳。定年退職を間近に控えていた。
田中氏は英語教師で厳格な人間だったのだが、所々抜けているところがあった。サッカー用の長いソックスを膝まで上げたかと思えば、陰毛が見えるんじゃないかってくらい短いズボン。上半身にはFCバルセロナのユニフォームを纏い、そこに何故かニューヨーク・ヤンキースの帽子を合わせてくる。そんな小学生でも許されないようなファッションで、真顔でグラウンドに出てくるのだ。すでに滑稽である。
僕はそんな田中氏が好きだった。基本的には放任主義で生徒に自主性を認める教育方針。叱るときは短く分かりやすく叱ってくれたし、冗談を言うこともあった。(まあ冗談のクオリティはなかなかに低く、本人もそれを自覚しているのかボソっと「今日朝食焦げて超ショックだったわ」なんて言ったりした。誰も笑ってなかった。)
現代サッカーの主流戦術は、豊富な運動量を必要とする。簡単に説明すると、人によって攻撃と守備をはっきりと区別するということはなくみんなで攻めてみんなで守る、という感じだ。故に1人ひとりの攻守の切り替えの速さがものをいう。田中氏もそこを重視しており、試合中も練習中も英語教師らしく、口癖のように「スピード!」と声を荒らげた。
「スピード」
高校3年間のサッカー生活、僕ら部員は常にこの「スピード」を意識していた。ボールを取られたらすぐ守備に戻る。ボールを奪ったらすぐ攻めに転じる。シュートが下手でもドリブルが下手でも、この「スピード」だけは強豪校にも負けないんじゃないかという自負があった。最終的な結果は先述の通り残念なものではあったが、敗戦後のベンチで普段滅多に人を褒めない田中氏が「負けはしたがいいスピードで戦えてたよ。おつかれさん」と言ってくれた時は、涙が止まらなかった。こうして僕の高校サッカー人生は幕を下ろした。
サッカー部を引退し受験勉強に熱を注いでいたある秋の日、僕ら元サッカー部の面々は校長室に呼び出された。誰も思い当たる節はなかったので「表彰でもされるのかな」「そうだな、圧巻の初戦敗退だもんな~」とみんなで騒ぎつつ校長室に向かった。部長の中村君(本名)を先頭に多少緊張しつつ校長室に入室した僕らに、校長は思いもよらない一言を発した。
「申し訳ない、本当に君らには申し訳ない」
状況を一切飲み込めない僕らに校長はこう続けた。
「田中先生が逮捕されました。」
これには相当驚いた。初戦敗退の数千倍ショッキングなニュースだった。なんでも20年近く無免許で運転していたというのだ。出勤にも車を使っていたし、遠征先にも車で駆けつけていた(黒のプリウス)。それが、僕らが校長室に呼び出された前日の出勤途中、交通違反で警察に止められた際に発覚したのだという。
その交通違反とは
「スピード違反」
やはり田中氏は教育者の鑑である。最後は我が身を賭して「スピード」の大切さを教えてくれたのだ。この姿勢から何も学べない者を人は愚者と呼ぶのだろう。そして僕は賢者だ。しっかりと学ぶことが出来る。
故に僕は、彼の教えを胸にこれからも法定速度を守ろうと思う。
最後に。実は田中氏が逮捕されてから僕は一度もお会いできていないのだ。いつの日かこの文章が田中氏の目に届くと信じてこの言葉を送りたい。
「捕まりはしましたがいいスピードで走れていましたよ。お疲れ様でした」。