事件当時、川崎駅近辺にいてニュースの速報で「川崎 殺傷 16人」なんてワードが流れてきたものだからとても焦りました。
調べたら登戸駅ということだったのですが、こちらも小田急をよく使う僕には馴染みのある駅。
池袋の事故や大津の事故で小さい子が犠牲となっているのを聞いて、僕も一児の父親として怒りだったりやるせない気持ちになっていた矢先にこの登戸駅での事件。
事故でも許し難いと感じていたのに今回は事件。
意思を持って犯行に及んでいるわけです。全く持って理解ができないです。
■報道を見ていて気分が悪い
「こういう事故がありました」「みなさんも気を付けて」という注意換気なら意味を見出せるものの、「被害者となった子の親への取材」ってこれ必要?
子が不慮の事故や事件に巻き込まれてるなか「今の気持ちを語らせる」ってどうなのよ。被害者に気を遣わせる配慮のなさに飽きれてしまう。
■死ねばいいのにって思っていたけれども
他人様に迷惑をかけ、ましてや命を奪ってものうのうと生きている容疑者に対して「(死刑)死ねばいいのに」と思うことも少なくないのです。
それこそ日常生活で通勤中の人身事故とか本当に勘弁して欲しい。他人様に迷惑をかける、ダメ、絶対。
ただ、今回のこの事件では容疑者も自決したということで少し考えをあらためさせられた気がします。
「(死刑)死ねばいいのに」という気持ちには変わりはないのですが、なんというか卑怯だよな…という気持ちが出てきて。
償いきれるものでは当然ないけれど、何も償わずに逃げるように死なれてしまってはもどかしすぎて気が狂いそうです。
■繰り返さなければ良いのだけれど…
今回の事件を聞いて、かつての秋葉原の事件を彷彿させられたのですが、いつまで経ってもこういう輩はいなくならないのだなと思わずにはいられない。
昨今、不適切動画であちこちで炎上していますが、あれだけ叩かれている様子を見ているのに後続が出てくるという世の中。
今回の事件以降も模倣犯的な感じで何か起きなければ良いのだけれど…と不安な気持ちになります。
僕自身がというより、自分の娘が巻き込まれたらどうするという不安。
「気を付けて」という言葉をかけたけれども、言ったそばから「気を付けようがないよな」という考えも過る始末。
■取り返しの付かないことは取り返しがつかない
取り返しのつかないことって、文字通り何をもってしても戻すことができないわけです。
犯人が死のうがお金を支払おうが失くしたものは返ってこないわけです。
償うって何なのかなーと考えさせられるんですけど、やっぱり償いきれるものではないんだなと。
長年積み上げてきたものが他人によって壊されるって故意でも過失でもやっぱり許せないですよね。
そこに費やした時間やお金も無駄になってしまう。
もちろん全てが無駄というわけではなく、短い時間だったけど共に過ごせた時間というのは形容し難いほど大切なもの。
そういう思いがあるからこそ「取り返しのつかないこと」をされた側としては気持ちのやり場もなくただただ辛いのだろうなとも。
これが人の命に関わる話ならなおのことです。
■おわりに
被害者の方々にご冥福をお祈りするとともに、こんな事件は二度と起きないで欲しいと願います。
毎日が明るいニュースで溢れ返ると良いですねぇ。