毛布を着て幕屋の柱に背を凭せている鹿魚。梁の鉤に掛けた脂燈を見上げていた。羽林将郎經津區、「殿下」鹿魚、「なんだ。吃驚した。外はまだ五月蝿いぞ。おまえは寝るのか」「殿下はなにをしていらっしゃるだろうと」「もう寝るよ」「そうですね。殿下は馬鹿騒ぎには御興味ない」「うん。楽しそうか」「はい」「ならいい。お休み」羽林将郎經津區は寝藁を敷いてやっている。〈オ休ミ〉を別れの挨拶と解釈したくなかった。羽林将郎經津區、「御茶を淹れましょう」鹿魚、「うん」「夜更かししたいですか」「おまえが帰らないなら」いい谺茶があった。湯が沸くのを二人は無言で待ち、やがて樒蠟の焦げるような香りが天幕を満たした。羽林将郎經津區、「殿下は御幾つで」鹿魚、「十三」「私が十三のとき、殿下のように落ち着いてはいませんでしたね」「どんな十三だった」「助平でした」「男だからな」「侍従丞樂止藐は大助平でした。なにしろ十三で恋人がいましたから。不細工でしたが、正直、羨ましかった」「聞かせろ」「やめておきます」「早く」「もっと飲んだときでなければ、とても言えません」「じゃあいいよ」「私のことを話しますか」「おまえが聞かせたいなら」羽林将郎經津區は岐捺元年、御史令蘆廼の長男として摩太州以陀に生まれた。賢い子供だった。尋常実業校では勉学らしい勉学もしなかったが常に成績は首席であった。周りの子供が馬鹿に見えた(〈妾ト同ジダ〉と鹿魚が言う)。軍楽が好きだった。兵衛府の馬場が郊外にあり、家の前の街道を騎馬の群が頻繁に往来していた御蔭で〈凱旋節〉、〈敵ハ瀕死ノ老海鼠ナルゾ〉、〈献呈〉、〈帝都ノ守リ〉、〈嗚呼遥カナル〉、〈不惜身命〉、〈黒鉄音頭〉、〈穿无聚虎賁郎将〉などに兵卒の鼻歌や放吟、あるいは堂々たる楽隊の総奏で親しんだ。少年經津區が心惹かれたのは、喇叭、篳篥、五鼓、担琴と言った楽器ではなかった。それを演奏する精悍な伶卒の首筋や胸筋から放射する男性美でもなかった。羽林将郎經津區、「私は、歌詞や旋律を作る人に憧れました。如何にそれが卑俗低劣な出来のものでしかないとしても」悪い酒だ。女童に声を荒げて過去の挫折を語ろうとしている。その自覚を得て、羽林将郎經津區はその時点で、尋常実業校卒業までの時点でやめることにした。丁度鹿魚と同じ年齢まで辿れば十分だと思った。それでも、口を開いてしまった以上、一応の締め括りまで話し尽くさねばならなかった。「ずっと、普通のことはしないだろうと思っていたのです。私は、なにか特別なことを仕出かすだろうと。〈ズット〉なのです。根拠はありません。摩太州以陀を御存知ですか。いえ、そんな筈はない。一言で申し上げれば田舎です。九割九分九厘までが稼業を継いで鍛治、漁業、指物師などの仕事に就きます。少々〈賢イ〉為に、〈特別〉だと自負していたのですね。どうだか分かりません。私は御史令の父が怖かった。父の仕事の日々がです。謨煙草を含んでは溝泥に吐き捨て、〈面白イコトハナイカ〉と漏らしていた。私は〈ナイヨ〉あるいは〈普通ダヨ〉と応える。つまり、私は芸術家になりたかったのですよ。遊ぶように生きたかった。歌うように、踊るように。つまり、それは、世界を作ることのような気がするのです。すべてのものに関わりたいのです。粘土を捏ねるだけで生涯を生き尽くすことが出来るかどうか。退屈で死ぬでしょう。不敬な発言を致します。酒の勢いですから御許しを。帝は〈遊ブヨウニ〉国事をなさってはいないでしょうか。私は、(再度〈不敬〉を申します)帝の立場になってみたい。あるいは、神の」鹿魚、「〈神〉と言ったのか」羽林将郎經津區、「はい」「面白いな。妾もなってみたい」「忘れて頂けるなら、続けます」「うん。そうしろ」「私は、馬鹿な連中を馬鹿にしていましたが、いまでもそれを撤回はしませんが、しかし、家、箱庭、卓上、掌のなか、小指の爪の上にでも自分の世界を作っている者は幸福そうです。〈粘土ヲ捏ネ〉て出来上がる壺がその者の小宇宙ならば、あるいは。私はそんな歌を一つだけ作って死にます」幕屋は直径五埜呎の円錐で、鬱銀の顔料で塗られた蛇腹矢来が二人を囲む。暑い。羽林将郎經津區は捻紐を取り〈換気シタイ。開ケテモイイカ〉と目で鹿魚に尋ねる。鹿魚が頷いたので、そうした。遮断されていた騒めきが幕屋を侵した。再び話す気にはなれなかった。〈酒ノ勢イ〉だと念を押して詫び、退座した。厨幕に立ち寄って酒を拝借した。ただの総角酒だった。自幕で胡座を掻き、喉を鳴らして飲んだ。羽林将郎經津區はまだ若い。言わば初陣だった。鹿魚におのれの屈託を垂れ流すのを恥じた。その羞恥心が昏睡する程度に、本当に酩酊していれば。どうなっただろうか。鹿魚の曇りない目で、羽林将郎經津區の戦場に対する感想が正しいか間違っているか、公平な判定をしてくれたかもしれない。だが、もう駄目だ。鹿魚は寝るし、今更足腰が立たぬくらい急激に〈酩酊〉した。戦場の恐怖は羽林将郎經津區の望むところだった。その〈恐怖〉は彼の倫理信仰哲学忠誠に痛烈な一撃を加え、なんらかの大変化が生じる筈だった。それが飛躍か沈潜かは分からないが、戦場を経験する前の羽林将郎經津區とは全く別の羽林将郎經津區が戦闘のなかで見出される。当然、彼はそう期待した。幾つかの彼にとっては決定的な、それでいて人の百二十年の生涯の振幅において眺めれば取るに足らない、実際客観的には些細な変転を経て軍籍に身を置く仕儀となった。彼は戦記軍記を読み漁った。〈悪太郎日記〉、〈御霊〉、〈一夜姫ト千日郎〉、〈斗曲〉、〈野ノ草ノ露〉、〈曠野〉、〈狼煙ノ果〉、〈狗譚〉といった古典だ。奇妙な劣等感を育てていた。世の中が〈詰マラナイ〉所為で、あまりにも胸のうちで〈詰マラナイ〉と繰り返し過ぎた。やがて自分自身が〈詰マラナイ〉者のような気がしてきた。空虚を見透かされたくないので、どんなものでも詰め込まなければならなくなった。軍人ならば偉大な戦史を記憶しているべきであって、例えば〈《槍猿鑑》ハ勿論読マレタデショウ〉と聞かれたときに〈読ンデイマセン〉などと答えていいわけがないと思った。強迫観念に似た義務感に駆られて、彼は戦記軍記を渉猟した。年号、戦役、総司令、参謀長を完璧に一致させることが出来るようになり、やっと安心した。彼の勉学は軍学に移らねばならなかった。それなりに歴史を重ねてきた人の文明の精華の一つであり、軍学理論はあらゆる方向へ無限の枝葉を伸ばして複雑化し、兵器、符号、戦略、糧食、体術、陣形、経済、典礼といった要素は膨大な量となって蓄積されていた。単純な暗記より遥かに困難な仕事だったが、なんとか自分の設定した水準を越えられたと自分を納得させた。直後、絶望した。地理学、磁気学、水力学、工学、暗号学、卜医学、紋章学、幾何学、弁論術、およそ戦争と関係せぬ学問領域は存在しないと気付いてしまった。彼は錯乱した。もはや〈空虚ニ詰メ込ム〉という最初の目的らしいものさえ忘れ、〈強迫観念〉のみが手応えのある実体であった。この果てしない穴埋作業はもとより苦痛でしかない。終止符、〈ヤメロ〉という何者かからの号令、こちらから〈大変化〉に身投げする為の跳躍板、戦場をそのような契機として利用するつもりだった。羽林将郎經津區は、別の〈期待〉も同時に抱いていたことを自覚していなかった。彼の読んだ戦記軍記には立派な帝国軍人しか登場しない。〈愛ヲ誓ッタ女性ニ戦捷ヲ捧ゲル〉という類型から外れる筆法は稀だった。それが記録者の幻想であり、芸術化され、金糸の縁縫、銀緒の総飾を施された作品に過ぎないと理解し、その陳腐な〈類型〉を軽侮しながらも〈待ッテマシタ必殺剣〉と胸中で相の手を入れるまでに楽しむようにもなっていた。彼の〈劣等感〉と〈強迫観念〉は人並み外れた想像力の一変種の消極的受動的〈亀虫草ヲ字引ノ栞ニスル〉的使用法であるとも言える。戦記軍記から想像した戦場、記述描写そのままの〈戦場〉が立ち現われるとは決して思っていなかったが、それにしても事実とされている物語の細部を手掛かりにして現実の有様を逆算しようとはしていた。現実の〈戦場〉は〈逆算〉敷衍再構築、高を括ることが絶対に不可能な戦記軍記とは異なる位相に存在した。羽林将郎經津區が覚悟し、深層で欲してさえいた〈恐怖〉、〈痛烈ナ一撃〉は、言わば〈男性美〉のそれであった。首級、血潮、反吐、泥濘、銃声、悲鳴などの具体的な〈手応エ〉。〈ソレ〉は確かにあるにはあった。吐き気を催す醜悪さで。なにが間違っていたのか。懸隔逕庭を理屈で埋め立てねば不安だった。人々は集合すると知能が退化する。二十四と十八がいた場合、最大公約数は六だが、十五が加わったときそれは三になり、十三までが来ると、ついに一しか共通しなくなる。八万の人が集められ強引に兵卒と一括りに纏められたここでは、皆に通じる〈一〉で考え、感じ、動いている。ある個人が百億万であっても、孤独に耐えるのを諦めて自分を八万分の一と規定したときに〈一〉になる。〈一〉同士が肩を組んでいる。それは加算して八万にはならず、自分の実存を他人に預け保証してもらう形式の融合であり、ついに〈大キナ一〉が出来るだけだった。〈嬉シイコトハ倍加サセ、苦シイコトハ分割スル〉という意味の言葉で幼少の頃から教官、親類、父に〈友人ノ効能〉を説かれてきたが、いまにして一面の真実を思い知る。一人の兵卒が一人の敵性住民を殺しても(今回の〈琶桴ノ役〉ではいまだ正真正銘問答無用の〈敵〉に出会っていない)、〈殺シ〉たのはその兵卒ではなく〈大キナ一〉である。〈於必田易於彦堕天〉の物語を羽林将郎經津區は連想した。足を滑らせ廬塢靈塢東部に足跡型の湖、漏石湖を作った神のことである。畜神轂南須と同様の偽神だと私は知っているが、それはいまどうでもいい。〈五千ノ人ガ拉ゲ/玉鰈トナッタ〉という一節は物語化されているが、これを現実の凄惨な光景として再想像してみようと彼は試みた。もとより不可能だった。彼の〈想像力〉でも、五千人分の死に様を描き分けることは出来ない。死に様が生き様に通じるとすれば、誕生から死までの全経歴を把握しなければならないが、五千人ものまったく異なる個性が存在するというのは、果たして、本当なのだろうか。彼は眩暈がする。〈類型〉を分解して算術的に順列組み合わせをすれば、五千程度は耳を揃えて用意出来そうだ。しかしそうして捏ね上げた性質の総合は彼の想定する個性とは違う。〈五千ノ人〉は〈人〉であるよりも〈五千〉なのであり、偽神於必田易於彦の神威の表現だった。数字〈五千〉ではなく、個性〈人〉がもし彼に実感出来るとすれば、それは〈五千〉の脳髄を彼の頭蓋骨に押し込むことに他ならず、破裂して死ぬ。〈大キナ一〉は〈破裂シテ死〉ぬことを自ら選択する筈がないので、〈琶桴ノ役〉における凄惨さ、ある兵卒の武勇、頑迷な抵抗などの〈表現〉として機能する〈数字〉だけを積み重ねていくだろう。彼は〈大キナ一〉を構成する一兵卒の主観を思い描こうとした。彼(一兵卒)が殺した一人の敵性住民は八万分の一の人蟻として認知され、計算上は八万人殺したときにやっと一人分の殺害を経験したことになるだろう。〈人蟻ヲ踏ミ潰シナガラ進軍スル兵卒〉の表象はまさしく物語だった。