(別の場所での投稿をアップします。)
テキサス州オースティンに到着した。半年間、ここで研究留学をする。今日は宿につくまでに、何度も感じることができた「気遣い」が私に(一般的に人に)とって じーん とくるものであったことを日記的に書き残しておく。
気遣い①
私が飛行機内で落としてしまったワイヤレスイヤホンの左片方を、座席の下だったり、前後の席を確認していると、周りの乗客がほとんどいなかったので目立ったのか、CAさんが手伝ってくれた。
なんとなく予期していた通り、あとでカバンの中に落ちていたのを発見したけれど、その場では見つからず最終的にあきらめることになってCAさんが悔しそうにしていたので、じーん ときた。
気遣い②
飛行機を降りると、乗り継ぎ先のダラスは朝で、2度目の機内食を寝ている間にスキップされてしまった私はめちゃくちゃお腹がすいていたので、次の便に乗る前に朝飯を食うことにした。
何でもよかったから適当にピザカフェに入って、レモネードと3種のチーズオムレツを頼んでみた。注文の品を持ってくると同時に私のテーブルにフォークとナイフがないことを見た店員さんは、持ってくるから待ってくれと言って、なぜ同時に持ってこなかったんだろうと思って、行く末をみていた。すると、なんとそのフォークとナイフは自分で取ってくるべきものだったっぽいことが分かった。彼は「あちらにフォークとナイフあるのでご自由に」っていうのではなく、自ら取ってきてくれるという献身的なところに じーん ときた。
そのあと、100ドル紙幣を使ってもいいかと聞くとその店では50ドル紙幣がないからあまりよろしくないとのこと。試しに聞いてみた程度だったので、普通に支払いを済ませ店を出ていくところで、100ドル紙幣を両替してくれるかもしれないお店がどこにあるかを教えてくれた。サービスをマニュアルに沿って実行しているだけでは、こんな行動はできないだろう。
気遣い③
オースティンの市街地にはCapital Metroという市バスが走っていて、空港からもそれを利用して宿まで移動する予定だった。バスが到着して運転手に運賃は前払いかなど聞いてると、「後ろからこのカード使いな」とそこでおりたおじさんから一日券をもらってしまった。私のすぐ後ろにいた女性もその件を私に譲ってくれたし、なによりもびっくりしたのがバスの運転手ももらいなと勧めてきたことだった。
日本だったらバスの運転手は注意するだろうという私の見解からするとこれは非常に驚きと彼らの心の余裕を感じることになった。
こうした「気遣い」は人に対する優しさの最小単位なんじゃないか。
気遣いは、まず周りを観察してその状況を素早く判断したうえで、その当事者に何をしてあげれば喜ぶかを考え、実行することである。
赤の他人でも気遣いはできて、それをされたひとを嫌な気持ちにすることは、ほとんどないだろう。文化が違うと、人のもてなしだったり、マナーや価値観が大きく異なることでありがた迷惑になることもあるようだが、こと「気遣い」においては万国共通の優しさの表現のような気がする。