日本旅館に泊まって,毎朝だされる朝の定食を好き嫌いせず食べてきた。
それが,季節の食材を楽しむにも,栄養のバランスにも,よく考え抜かれた自分にとってベストなものであった。そして,おいしければおいしいと評し,たまに,そうでないものには不平を漏らせばよかった。
ある日,その旅館が朝食のスタイルをかえて,ビュッフェとなった。
卵料理をたのもうとすると,「どのように調理しますか?」と聞かれる。目玉焼き,スクランブルエッグ,オムレツ,ゆで卵…,「焼き具合はいかがなさいますか?」…,半熟くらいしか言葉をしらない。
かつて,概ね大学は偏差値順に選択し,そして,就職ランキングの高い大手を狙って就活にいそしんだ。そうすることが,定年まで安心して安定的な環境でいられる,それが絵に描いたような幸せだった。就職した企業の業績は伸び続け,組織が大きくなっていく。長く務めていればいるほど,その経験に応じた知識,スキル,そして人脈が備わり,昇格する。定年まで勤め上げることが,生涯年収を最大化することでもあり,退職金と企業年金に支えられた余裕のある余生を過ごすことができる。
だから,与えられた職務には文句も言わずに取り組み,土日もいとわず,働いた。転勤も受け入れ,子女教育は妻に任せ,単身赴任を続けている。
しかし,それは絵に描いた幸せにしか過ぎなかった。終身雇用,年功序列は崩れ去り,中高年からリストラされていく。1990年代後半,日本における自殺者数がそれまでの2万人台から,3万5千人に至った。自殺者数が減ったとはいえ,今も,同じような状況が続いている。多くの中高年にとって働くことに明るさが見いだせない。そして,そのことがその姿を見ている若年層に影響を与えている。良いのか悪いのかは,別にして。
ある日を境に日本旅館の朝食スタイルがビッフェとなったのは,それまで日本人中心だった顧客層が,外国人に取って代わられたのが原因だった。同じように,多くの日本企業にとって日本市場が先細る中にあって,古い体質の日本人は不要なのだろう。
もうあの頃のような,上げ膳据え膳は期待できない。ビュッフェから自分で選び,それがおいしいのか?おいしくないのか?体に良いのか?悪いのか?誰に文句を言うこともできない。自分で選び,その結果が自分に返ってくるのだ。
ビッフェのなかに選びたいものがなければ,その時は,別の選択肢を外に求めることもできる。自分にあった選択肢がないと不平・不満を漏らすのは,自分の怠慢でしかない。
あるいは,朝食を抜くという選択肢もできる。「一日三食」が正しいかどうかもあやしい。朝食を抜くと,その日一日の活力がそがれる…なんていうのも,疑ってかかったほうがいい。
自分の理想とする機会がなければ,自分でつくれば良い。
キャリアにおける意思決定を,朝食の選択にたとえるのはいかがなものか?という意見もあろうが,まずは,「朝食の選択」から始めて見るのがいいように思う。
自分がなぜその意思決定をしたのか?
ひとつひとつ,意思決定の理由を語ることこそが,自分の軸(Principal)をつくるのだから。