ひとつ困ったことがあります。
この橋を渡って向こうに行かなきゃならないんです。
でもね、この橋…。
立て札になにか書かれているよ?
「このはし わたる べからず」
うわー、困ったな。
この橋を渡らないといけないのに。
どうしよう、どうしよう??
と困っていると…。
「これ、そこの者。あわてない、あわてない。ひと休み、ひと休み。」
あ、あなたは一休さん!?
「いかにも、私が一休。」
この橋、通れないので困っているんですう~。
「このはしを通ってはいけないのだから、真ん中を通ったらいいのだよ。」
おお、さすが一休さん!
無事に橋の真ん中を通って向こう側に行けました!
と困り事が解決したところで、今回は一休さんゆかりのその名も酬恩庵一休寺(しゅうおんあん いっきゅうじ)へ散歩に出かけます。
(上の写真の橋や一休さんの像は、一休寺境内のものです。)
酬恩庵一休寺は京都盆地の南、京田辺市にあります。
京都市の市街地からすると、かなり南の方ですね。
ここは京都市ではなく、京田辺市になります。
一休寺への公共交通手段はやや不便です。
一休寺公式サイトによると、近鉄京都線新田辺駅あるいはJR学研都市線京田辺駅からタクシー利用とあります。
あと、新田辺駅からは1時間に1本の京阪バスが出ています。
多くの方はマイカーで来られています。大きな駐車場があります。
僕もマイカーで行きました。
では、一休寺の総門をくぐって入りましょう。
抜群に天気の良い、真夏の空です。
真夏の強い日差しを浴びて、参道脇の緑がまぶしいです。
手水舎の水の波紋がキラキラして涼しげ。
新型コロナ感染対策のためか、ひしゃくがないのが少し物足りないかな。
さて、このお寺と一休さんはどう関係があるのでしょう?
一休寺公式サイトの由緒に説明があります。
元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。
禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。
このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのである。
では、お堂と庭園を訪ねます。
一休寺庫裏。
ここからお堂に上がらせていただきます。
庫裏の横の豊穣から見た方丈庭園南庭。
雲ひとつない真っ青な空に、白砂に反射する光が眩しすぎて紫外線ギラギラですが、真夏を感じるこんな光景もまた良いものです。
左に見えるのが宗純王廟(一休禅師のお墓・非公開)。
右は虎丘庵という一休禅師が住まれていた茶室(非公開)。
庫裏ではちょっと休むことが出来ます。
しっかり、虎の屏風も置いてありました。
「一休よ、この屏風の虎を捕まえてみよ。」
と、足利義満になった気分で一休さんごっこが出来ていい感じ。
さて、暑いので休憩しましょう。
ひと休み、ひと休み。
お寺での休憩といえばお抹茶が呈される事が多いのですが、一休寺ではなんとソフトクリームも出されていました。
暑いのでこれをお願いしました。
ソフトクリームの上にトッピングされているのはチョコチップではなく、一休寺納豆を砕いたものです。
一休寺納豆とは数百年前から一休寺に伝わる製法で、大豆を発酵させて納豆にした後に天日干しにしたもの。肉を食べないお坊さんの貴重なタンパク源とのこと。
塩味が効いていて、ソフトクリームにもよく合いました。
さて、ソフトクリームを食べて少し涼んだので、真夏の暑い中を本堂へ向かいます。
ここも緑の参道ですね。
この緑は青もみじで、晩秋には色づきます。ここ一休寺は紅葉の名所なのです。
これも一休禅師の像。
あれっ、痩せておられますね。晩年はお痩せになっていたよう?
一休寺本堂。
ご本尊は釈迦如来坐像、文殊普賢菩薩像とのこと。
室町幕府六代目将軍足利義教公の帰依により建立されました。
(中には入れません。)
本堂の奥には20世紀の森と名付けられた小さな森がありました。
そして、たくさんの羅漢さん(石仏)が。
これらは地元の方々が彫ったものとのことです。
ここは森なので昼間でも暗く、ちょっと不気味な雰囲気です…。
こちらは宗純王廟という、一休禅師のお墓。
一休さんはこのお寺でお亡くなりになったのです。享年88歳。
一休禅師は後小松天皇の皇子で皇族となりますので、このお墓は宮内庁管理です。
門扉には菊の章がありますね。
御朱印もいただきました。
酬恩庵一休寺の「酬恩」が書かれています。
さて、暑いのでそろそろ帰りましょう。
順路の最後は、木々に囲まれた有漏無漏(うろむろ)の路と名付けられていました。
有漏無漏とは煩悩がある人(有漏)とない人(無漏)のことですが、ここではこの世(有漏路)とあの世(有漏路)という意味のようです。
それをもとに、看板に書かれている一休さんの言葉を読みましょう。
現代語訳
人生というのは、この世からあの世へと向かう
ほんの一休み。
雨が降ろうが風が吹こうが
気にしない気にしない。一休宗純
なるほど、一休さんが言われるひと休みとは人生そのもののことだったんですね。
うん、肩の荷が少し下りたような気がしました。
ここ酬恩庵一休寺で、身も心もひと休みが出来たような気がします。
そしてまた少しずつ歩き出そうと思った、真夏の昼下がりのまったりとした素敵なお散歩でした。
Camera: LUMIX G8
Lenses: LEICA 12-60mm F2.8-4, LUMIX 12-32mm F3.5-5.6
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