こんな記事を書いた時がありました。
今日も、久しぶりにつぶやきます。
職場で、若い男性がしみじみとこんなことを言ったのです。
「俺の常識は、女の非常識」と
どうも、女性の心が分からないというものでした。
「男と女は、所詮解りあえないものなんだ」と、
30年以上連れ添って別れた身としては、悟りのようにそう思わずにはいられなかった・・・・
そう言って、諦める事で、何となく問題を先送りしてきたのだと思う。
あの時、もっと考えて、話し合っておけばとか、
もっと言いたい事を言いあっていればとか・・・
後悔先に立たずだけれど・・・
今こうして気づいていることがあるとしたら、問題を先送りにして、そして、とことん、関係が悪くなったから・・・
一生気づかないで、幸せに過ごす人だっているんだろうな~
その人と、自分はどう違うんだろう・・・
なんでも、許せるから、許せなくなる境目は?何だったんだろう・・・
いやいやもともと、なんでも、許せるなんてことは、ありえない。
そう思っていたとしたら、そのことがすでに自分をごまかしていることのような気がする。
家事は女の人の仕事と、誰が決めたの?
女の人は子育てが上手と誰が決めたの?
仕事がしたい女の人も居れば、子育てしたい男の人もいる。
家事が得意な男の人も居れば、家事が苦手な女の人もいる
どうして、話さないんだろう、話せないんだろう、自分の思いを、愛する人に伝えられないんだろう・・・
男の人がが女の人に、
トイレ掃除してやったから、
お皿洗って置いてやったから
洗濯もの入れてあげたから
と言う。
でも、女の人が男の人に
トイレ掃除してあげたから
お皿洗ってあげたから
洗濯してあげたから
とは言わない。
そこに、暗黙の常識が横たわっている。
女の人は、生きていく上で、色々な変化を受け入れて行かねばならない。
たとえば、生理・妊娠・出産・閉経。
その状況ごとに、自分の体の変化を受け入れていく事を強いられる。
変化によって、自分の環境が否応なしに変わっていく、だから、女性は変化に強くなければ生きていけない。
男性は、体の変化が女性よりは少ないから、自分の好まない状態で環境が変わった時に、変化に対応しにくい。
この男女の差こそが、女の常識が解らない男を作ってしまうのかもしれない。
所詮、解らない事がある事を、前提にお互いが思いやる事が大切であることは、言うまでもない。
ただ、無意識を流れる河は、男女の区別などない。そこまで、深く降りれて行けば、同じ命なのだから。