
UBER EATSってあるじゃないですか。飲食店の配達を街中のドライバーたちがやっちゃうっていうやつ。

ぼくは、そんなウーバーイーツの配達パートナーとして2019年1月から配達を始め、東京と大阪で合わせて2000件以上のチャリ配達をこなしてきた。
その経験から、ウーバーイーツの配達という仕事を人類史の観点で見てみる。
元々ウーバーイーツについてある程度知っている人は3章から読むことをオススメする。
1章 ウーバーイーツは"ギグエコノミー"
2章 配達員は"フリーランス"
3章 人類の狩猟採集生活
4章 ウーバーイーツの仕事は"自然"かつ"現代的"
インターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方や、それによって成り立つ経済形態のことを"ギグエコノミー"というのだが、ウーバーイーツはこれに当たるそうだ。
ウーバーイーツのお客さんはアプリで注文をすると、自宅で待機し、ドライバーが到着したら商品を受け取ることができる。受け取るにあたって印鑑やサインなど煩わしいものはいらない。全部アプリで完結するのだ。必要なのはアプリの操作と家の玄関まで足を運ぶことだけだ。なんて素晴らしい時代になったんだ。
また、ドライバーは、バイクもしくはチャリと専用バッグを用意し、いつでも出動できる状態であれば、じぶんのスマホに注文通知が来るまで、どこで何をしててもいい。スマホで別の仕事をしようが本を読もうが歌を歌おうが、犯罪さえ犯さなければ何をしてもいい。(もちろん多くの収入を得るためには、注文が入りそうな店の近くにいることが得策ではある)
そして、通知が来たら出動する。注文先の飲食店まで行き、商品を受け取り、注文元のお客さんのところへ運ぶだけ。
というのが、"ギグエコノミー"といわれるウーバーイーツの概要である。
(↑ ギグエコノミーに関する本。ぼくは読んでいない。)
そんなウーバーイーツの配達員として働くというのは、実はウーバーの従業員として仕事をするのではない。労働形態としては、バイトでも会社員でもなく、"個人事業主"にあたる。いわゆる"フリーランス"ですね。
ウーバーイーツ配達員は、ギグエコノミーというビジネスモデルの中で働くフリーランスになるので、「週に何日」「1日何時間」などといった就業規則はない。さらに、配達注文の1件1件に対して"やる"か"やらない"かは自分の意志で決められる。仮に、出動準備が完了してても、入ってきた注文の飲食店が遠いところにあれば"注文拒否"することもできる。
そんな感じなので、もちろん「何時から何時までやるのか」「休憩はどのタイミングでどれくらい取るのか」「休みの日はいつにするのか」などといったことも全て自分の意志で決められる。
ここからやっと、人類史を絡めた話になってくる。ここで、時間を1万年以上前までさかのぼってみる。
1万年以上前の人類は、動物を狩ったり果実を摘み取ることで食糧を確保していたと言われている。いわゆる"狩猟採集生活"ってやつですね。
このころは、決まった範囲の土地を耕さなければならないという縛りがなかったので、"時間"に強く縛られることがなかった。何時に起きようが何時に活動しようが、ほかの動物に襲われたりしなければなんでもよかった。
また、当時の人類は今のような"定住生活"ではなく"遊牧生活"をしていた。毎日寝る場所や活動する場所は違うかったそうだ。3日に1回、200メートルくらい進むみたいな感じで。
なので、狩猟採集生活していたときの人類は、"時間"にも"場所"にも縛られていなかった。
こういった生活スタイルは1万年以上前の話なので、今の人類に関係なさそうに感じるかもしれない。しかし、それは大きな勘違いだ。
人類は約500万年からそういった生活をしていて、狩猟採集生活をやめたのは"たった"1万年前なのだ。人類史全体でみると、つい最近の話なのだ。
これはどういうことかというと、ぼくたち人類は狩猟採集生活に合った進化を遂げている、ということである。
つまり、人類は時間や場所に縛られることに慣れていない。500万年分のうちの"たった"1万年しか時間が経ってないのだから。
だから、毎朝決まった時間にアラームに起こされたり、毎日同じ学校や同じオフィスに通ったり、といったことが嫌になるのは当たり前だ。嫌になるのは、その人が何か劣っているとかいう話ではない。人類史からみると嫌になるのが"自然"なのだ。
(寝坊をすることは"自然"なことだ。守ろうとするほうが"不自然"だ。)
と長々と、狩猟採集生活をしていたころの話をしてみた。そういったことをふまえると、ウーバーイーツの配達は「時間」や「通勤場所」に縛られないという要素があるので、人類にとって比較的"自然"な働き方なのかなー、とおもう。
ぼくじしん、会社員からウーバーイーツへ移行してから、大キライだった目覚ましのためのアラームを使うことはなくなり、「遅刻」をしてしまわないようにヒヤヒヤしながら出勤するということもなくなり、毎回おなじオフィスに通うこともなくなった。
低気圧のせいで気分が優れないときは、誰かに事情を話して休みの許可を得るなんていう面倒臭いことをしなくても、家で寝転がりながらNetflixを見ることができる。
そんな感じなので、心も身体も軽い状態でいられる。だから、ウーバーイーツの配達仕事は人類にとって比較的"自然"だとおもう。
とはいえ、ぼくの場合は、毎日住んでいる家に帰っているし、配達は狩猟採集民のように「メートル」単位で歩くのではなくバイクや自転車を使って「キロメートル」単位で移動するので、完全な"自然"とはいえないかもしれない。
ただ、"時間に縛られないところ"と"いろんな場所を転々と移動できるところ"は、かなり"自然"かつ"現代的"で、高い幸福度を維持できるという面では、こんな素晴らしい働き方はないのかな、とすら思ってしまう。

(猫も人類の幸福度を高めてくれる)
以上、「人類史の観点でウーバーイーツを眺めてみた」でした。











