3つの記事のまとめについてです。
テーマは宗教改革者マルティン・ルターについて。
彼が行った宗教改革と一連の流れについてまとめています。
免罪符から生まれた改革の火種~ルターと宗教改革①~
豪華王ロレンツォ・デ・メディチの息子であるレオ10世は、教会の財政難から免罪符を発行し、一般信徒だけでなくその他の市民からもお金を工面しようとしました。
そこで「神のみが行える贖宥(人間が償うべき罪の行いの免除)を教会が判断するとは何事か!」とルターが立ち上がります。
しかし相手は強力な権威と権力を有するローマ教会。
ルターに賛同する声はあれど、一筋縄ではいきませんでした。
プロテスタントの語源~ルターと宗教改革②~
ルターは彼が考える正しい聖書の教えを広めようと、ラテン語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳しました。
聖書には教会の教えが絶対であることや、贖宥状のことなどは一切書かれていないことをルターは多くの人に伝えました。
そして、本来のキリストの弟子たちは、レオ10世たちのように豪華な暮らしをしていなかったことも……。
これによって反ローマ教会の声が高まっていきました。
文芸復興で音楽も発展した時代~ルネサンス音楽~
ルターらによって宗教改革が行われた年代は、ルネサンス芸術が花開いていく時期でもありました。
ルネサンス芸術とは直接関係ありませんが、実はルター自身も音楽分野に貢献した人物でもあります。
宗教改革者として有名な彼は、実は作曲家としての側面もありました。
“神はわがやぐら”を代表作として、多くの賛美歌などを作曲し、自国において礼拝で歌う賛美歌“コラール”をドイツ語で歌うことを決めたのもルターとされています。
文字も読めない子どもたちでも、日曜に教会に来れば歌を聞き、そのうち勝手に歌えるようになる……。
そんな文化教育的な側面でも活躍した人物でもあります。
後に音楽分野でルター派として確立されていきますが、そのルター派の中から世界に名を轟かせた人物が、ヨハン・ゼバスティアン・バッハです。