今日は、2015年、海外のビジネス系(国際経営学)大学院で学んだことと、ALISがこれから進もうとしている道との親和性について考えてみます。
わざわざそんな海外留学までして何を学んできたか?
当然ながらこの限られたスペースで語り尽くせるワケもありません。
もしそれが可能なら、手間暇かけて留学など意味ないじゃん!となってしまいます。
ただ大局的な見地から、タイトルのようなことは何とか語れそうな気もしてます。
ざっくり言うと、、、
大学院で学ぶこと、それはズバリ、社会の“舞台裏”を見せてもらうようなものっす。
つまり、世の中の人はこんなに必死に命をかけて働いてるけど、そうさせている真のカラクリはこうなんだよ、みたいな。
社会のほとんどの人はせいぜい大学までしか行きませんよね。
で、とにかく大学時代までに学んだ知識・価値観を携え、社会で戦わされる訳です。
でも、とかく社会からは“不要”とさえ言われる文系の大学院の視点だと、ちと違うんです。
なんちゅうか、社会では普段見せていない部分、社会のカラクリのようなものまで教えてくれるんです。
例えばこんな感じになります。
“世の中には国家がある。
そしてその中でそれぞれのルールのもとで競争してる企業がある“、、、と。
ここまでが大学レベルの視点だったと思います。
でも、大学院の視点はもっとひねくれてます、、、って言うか、どちらかというと、もっと陰謀論的です。
「この図を見なさい。SNSは国家よりも大きな存在だ。
それに世界のいくつかの企業は、ヨーロッパの中堅国によりも大きな売上高だ。
じゃ、次に世界を見てみなさい。
世界の政治家は別に世界統一ができないというワケじゃないんだよ。
時として国家よりも大きな存在の企業家たちがそれをさせないだけなんだよ。
国境があるおかげで、物価、制度の壁をつくり、彼らはその違い上手に利用する。
国境があるおかげで低賃金、租税回避地、合法的な人権抑圧ができるんだ。」みたいな。
確かに授業では、もっとソフトで婉曲的な表現だったと思います。
でも、授業で身についた世界観はそんなもんでした。
そしてそんなワタクシの留学先はマレーシア。
そこに、まるで奴隷船のように第三国から送られてくる大量の出稼ぎ労働外国人。
教室で与えられた世界観と街角の光景は見事に一致していたように振り返ります。
あと、授業で先生と生徒との最も印象的なやりときの光景は次のようなものでした。
「いいか君たち。じゃ、利益って何だ。資産って何だ。金って何だ。生産システムって何だ。」
生徒がいくら答えても、先生はさらにその本質は何かと永遠と掘り下げました。
つまり先生が言いたかったこと。それは「解なし」という解だったのです。
先生は言いました。
「今や世の中の金は満ち溢れてる。
地球上の土地、建物、あらゆる有形物が買い尽くされてしまった。
だが、お金の増加はとどまらない。
そしていよいよ地球上で新たに買える商品はなくなった。
これからは地球上に形がないもの、ネット空間にさえ延々と商品が広がり出したんだよ。いいか?だから今、FBやUberが自動車会社よりも資産価値があるんだよ。
しかも一方ではね、地上で生産されるものは、これからますますロボットが生産してくれるようになっちゃうんだよ。」
そんな感じでした。
ALISに関わる若い方々の活動を見ていくと清々しいです。
粋がるでもなく、あるいは卑屈になるでもないマインドセット、それが特に素晴らしい。決して社会に激しく抗しているワケではない。
でも、ひたむきに新しい社会、新しい経済システムづくりに励んでくれてる姿。
2015年、大金を使い果たしながら自分が辿り着いた境地。
図らずも今、それを日本の若者たちが当たり前のように挑んでくれていることにエールを送りたい気持ちです。