日本の神道あるいは仏教に通じる観念の一つに、「穢れ」(けがれ)というものがあります。「気が枯れる」という意味でおおむね使われ、「通常とは違い、落ち込んだ状態」を指すことがほとんどのようです。
また単純に「きたない」ことを示す「汚れ(けがれ)」とは異なり、「穢れ」というのは汚れも含み、物心両面での状態を指しています。
「穢」という漢字は、「のぎへん」に「歳」という要素で構成されています。のぎへんは、概ね稲穂のことを指すようです。歳というのは、稲穂を刃で刈り取るさまを示していて、転じて「刈り取り時期」=年月というような意味に変わっていったとされています。
禾:稲穂
歳:戉エツ(刃物)+歩(としのあゆみ)
=稲穂の刈り取る時期
どちらの要素にも、あまりネガティブなイメージはないのですが、なぜこの「のぎへん」と歳で構成される「穢」が「けがれ」という意味になるのか。
この二つが重なると、「刈り取った後の稲穂が、整理されていない状態。ばらばらに散らかった状態」を指すようです。散らかっている様を「きたない=けがれ」として認識したことが、穢という漢字の由来のようです。
日本古来からの「気枯れ(けがれ)」という考え方に、あとから「穢」という漢字があてはめられたような気もします。とどのつまり、「心の中が、不安や恐れで散らかり、本来の健康な状態を損なっている」ことを「穢れ」というのだと思われます。
汚部屋=断捨離で、穢れよさらば。。
さて、その穢れが物理的に目に見える形で展開されるのが、いわゆる「汚部屋」、つまり整理整頓のできていない部屋だといえます。よく、心と部屋の状態は一致しているといわれますし、実感としても、確かに疲れた時などは部屋の片づけまで気が回らず、散らかる傾向にあります。
私は、そこまで汚部屋ではないのですが、2022年の年明けから一念発起で断捨離を決行しました。断捨離の過程で、心の中にある散らかったものが整理され、思考がシンプルかつクリアになっていくような感触を得られました。
そこで、この断捨離日記を今後数回にわたり、不定期でつづることにしたいと思います。