東京オリンピック組織委員会・森喜朗会長の話題②
(前回は、こちらをご参照ください)
森会長の今回の発言、女性蔑視として各界から批判を浴びています。総理大臣時代も、確か「神の国」発言によって大炎上を招き、退陣に追い込まれた記憶があります。要するに、舌禍が多いのですね。
一方で、舛添前東京都知事は、森会長が実務面で手腕を発揮し、都内の関連施設にかかわる建設費を抑制することが出来た。今回の発言そのものは決して許されないが、森会長の功績にも触れ、公平な報道をしてほしいと述べています。
舛添氏自体も、公用車の私的使用疑惑で辞任に追い込まれましたし、それはそれで問題があった方ではあります。ただ、ここで注目したいのは一方だけを見て判断することの危険性です。
私の座右の銘に、「一方を聞いて、沙汰するな」というものがあります。
これは、2008年の大河ドラマ『篤姫』で、実母のお幸が、娘の於一(おかつ。後の篤姫)に伝えた言葉です。喧嘩沙汰になった時、双方の話を聞いたうえで物事を判断しなさい、というもので、おかつが篤姫となり、やがて天璋院と名乗る波乱万丈の人生において、ずっと大切にされる教えとして、劇中で何度も触れられています。
ところで、冒頭の「神の国」発言。
当時の発言全文を読んでみると、白熱した報道と比べ、印象がやや異なることがわかります。
「自分の信条として、こうして命があり、政治家として活動できているのは神様のおかげと思っている。ありがたい。」と述べるために、比喩的に使ったこの表現が「政教分離に反する」「天皇を神として奉じた過去の大戦を容認している」といったように、飛躍して独り歩きしてしまった感があります。
もちろん、総理大臣として公の場で言っちゃだめでしょ、というツッコミは否定できませんけれども。
今回の森会長の女性蔑視発言は、決して看過できるものではありません。とはいえ、舌禍を招きやすい性分であることを思えば、報道の仕方も少し工夫すべきではないのか、とも思います。
特に、東京オリンピック開催の是非を問う内容と今回の発言がきちんと区別されず、感情的な批判を含む煽情的な報道が多い印象があります。
万物には、陰陽が1:1の割合で含まれる。
前に投稿した記事に、易経における陰陽の考え方を紹介しました。
今回の発言についても、その内容の全容(陰と陽)を理解し、その発言だけを聞くのではなく、森会長の意図も確認し、問題点を区別して論じるべきかと思いました。一方を聞いて沙汰しないことですね。双方から聞いて、それでもダメならダメでいいじゃないか、と。
善悪を問う前に、「善と悪」双方を理解することが大事です。理解すると、少なくとも感情ではなく、理性で問題点を論じ、批判できます。
相手を非難するより、受け手の我々が賢くなったほうが、きっと物事は平和に解決できるのだと思います。