英連邦の人々に資する存在として、「私」より「公」が優先される英王室。
一方、「私」が優先される米国式の生活に慣れ親しんでいたマルクルさん。
「メグジット」と呼ばれる、一連のヘンリー王子夫妻による王室離脱騒動に触れてみると、英米や公私の違いについて、王室もマルクルさんも諦めがつかなかった、というのが本質ではないかと思います。
王室の諦めがつかなかったのは、英国の報道を見ていると、「ウォリス・シンプソン」の遺恨が深いことも一因だとみてとれます。(前回の記事をご参照)
現在のエリザベス女王(エリザベス2世)の叔父にあたる前々国王・エドワード8世は、君主としての立場よりも、離婚歴のある米国人女性ウォリス・シンプソンとともに生きていくことを決意します。そして1932年、半ば強引に弟のジョージ6世(エリザベス2世の父)に譲位した後、ヨーロッパに移住しウォリスと結婚します。
マスコミは、一連の出来事を「王冠をかけた恋」と報じています。
しかし、財政面では実家である王室からサポートを受けられていましたが、結婚式には王室/英国政府の関係者は一切参列しないという、あからさまな冷遇を受けることとなります。
また、ジョージ6世薨去の際は、英国民の激しい反発もあって、ウォリスを連れずに単身で葬儀に参列。さらに、その後に行われたエリザベス2世の戴冠式には出席しないなど、両者の関係は完全に冷え込んでいました。
とはいえ、いかに王室を離れようとも、「英国王の兄」という血筋は切り離せない。
このため、その地位を利用しようと、戦時中はナチス・ドイツがこの夫妻に接近したこともあり、王室と英国政府は、常に彼らが「国益を損なう存在となるリスク」に悩まされていたと考えられます。
両者の関係は少しずつ改善し、王座を退いて40年ほどたった1972年、病の床についていたエドワード8世を、エリザベス2世が見舞っています。そのわずか10日後に、彼はひっそりと息を引き取りました。。
くしくも同じ米国人の女性がきっかけとなり、同じ悲劇がウィリアム-ヘンリー両王子の兄弟間で起きてしまうのではないか。
そして、英国と対立する国家や集団が、ヘンリー王子夫妻の地位を利用しようと近づいてきたら・・・・。
当時とは時代が違うとはいえ、わずか60年前におきた兄弟/家族の分断。
当時の世代がなお健在である現代の王室と英国において、この問題は生々しいものであったのだと推測致します。
「同じことが起きないように」という配慮が、メルクルさんの主張する差別的な扱いにつながったのだとしたら、とても残念なことです。